「練習が全然できてないの~」と言いながら、明らかにレベルアップしている闇連専門のレディースたち。そう、彼女たちのバックには個人レッスンが得意なコーチがついているのです。予約待ちしてでも教わりたいスゴ腕コーチとは? その人気の秘密に迫ります。

卓球レディースのコンテンツ利用者現る

号外です!

WEBメディア「卓球レディース」を運営して3年、ついに現れました。当サイトのコンテンツをレッスンに活用してくれるコーチが!!! 

卓球レディースはこれまで、卓球以外の分野で活躍する専門家に監修を依頼し、卓球に役立つトレーニングコンテンツを制作してまいりました。

ああ、日本のどこかに、私(が作るコンテンツ)を待ってる人がいる~♪ と、谷村新司気分で、どこの誰がどう活用しているかもわからぬまま、無心で制作に励んできましたが、その運命のお方は横浜におられました。

横浜市で卓球教室「ピンポンマム」を営む河又未希さん、その人です。

「女性は力みやすいので、卓球レディースのYouTube動画『脱力の感覚を養う1分ストレッチ』を観ながら、生徒さんと一緒にストレッチしています」。

なんとも嬉しいお言葉。ほかにも「ボールへの対応力が上がる卓球リズムトレーニング」の動画を参考に「打球タイミングに合わせて生徒さんに声をかけるようになりました」とも。

嬉しい。泣いてもいいですか?

さて、そんな私の心情は横に置いて、未希さんも「レディースに卓球のおもしろさを伝えたい」と、2023年10月に横浜市の大倉山にある町内会館で卓球教室を開講。近くの商店街の各店がチラシを置いてくれるなど、地域の応援もあり、わずか半年で40名の生徒が在籍する人気のスポーツ教室となりました。

「生徒さんは、卓球が初めての方がほとんど。試合に出るだけが卓球ではないので、レッスンで居心地の良さを体感してもらえるよう心がけています」と未希さん。

実際に様子を見ると、レッスン中は生徒さんとのフランクな会話が中心。技術の説明も難しい言葉ではなく、お天気の会話をするような口調で、自然と優しく。生徒からも「わかりやすく、丁寧」と好評なのがわかります。

「シニアの方でもマイペースに楽しく卓球が続けられる教室を目指しています」と満面の笑顔で語る未希さん。ところが、話の節々に「卓球が楽しくない時期もあったので」と意味深なことをぽつりぽつりと。

一体何があった??? 

おばちゃん根性でネホリハホリ聞いた、未希さんの卓球人生に迫ります。

やる気ゼロの態度で多球練習をこなす“一球一休少女”

未希さんが卓球を始めたのは小学1年生の頃。お父さんの引率のもと、2歳上の兄・有城さんと一緒に近くのスポーツセンターやレジャー施設でピンポン遊びに興じたのがはじまりです。

「はじめは、たまに遊ぶ程度だったのです。でも、だんだんスポーツセンターに連れていかれる日が増えて。気づいたら卓球を毎日やらされるはめになりました」。

スポーツセンターへ行く回数とともに増えていったのがピン球の数。学生時代卓球部だった未希さんの父親は、初めはポケットにおさまる程度のピン球しか持っていませんでした。ところが、ポケットを叩くたびにビスケット算のごとく増えたのか? いつしかトレ球を箱ごとセンターに持ち込むように。そこから悪夢の多球練習がはじまりました。

「父は会社帰りに、私たち兄妹が待つスポーツセンターへ来て、2時間ほどぶっ通しで球出しをしました。それも毎晩。父も仕事で疲れているだろうに、手を休めることなく球を出し続けた理由が、いまだにわかりません」。

突如始まった365日、毎日多球。未希さんが休めるのは高熱を出した時だけ。練習中に「疲れた」と愚痴をこぼすと、「疲れた頃から良くなるから」と、お父さんは意味のわからないことを言ってノンストップで未希さんにボールを打たせました。その姿はまるで、ライトな星一徹。障子の隙間から未希さんを見守る明子はいませんでしたが、疲労困憊の未希さんを応援するお姉さんは存在しました。

「毎日、スポーツセンターへ通ううちに、受付のお姉さんと仲良くなりました。お姉さんはよく手紙をくれて、かわいい便箋には『いつもがんばってるね♡』といった応援メッセージを書いてくれていました。封筒には小学生が大好きなキラキラシールも入っていて、とても嬉しかったことを覚えています」。

お姉さんからの励ましと、隙があれば横になり休むことで、父の猛烈な多球練習をなんとか耐え抜くことができた未希さん。

その一方で、お兄さんの有城さんは上昇志向。「インターハイで活躍している選手みたいになりたい」と早い段階から目標を持ち、お父さんの多球に食らいついていきました。お父さんもやる気のある有城さんの指導に力が入るようになり、未希さんはそっちのけで、有城さんの練習や試合の内容に厳しい態度をとるように。

「父の気持ちが兄の方に向いていたので、私はやりたくない態度を丸出しにしても怒られなかった。兄がいたおかげで助かりました」。

これといった目標もなく、やらされるままに多球をこなす未希さん。ところが練習は裏切らず、初めて出た全日本選手権のカブの部でベスト16。有城さんより先にランク入賞を果たしました。その後もお父さんからの多球練習は続き、地元の中学校に進むとカデットの部でベスト16と結果を残します。未希さんは心も身体も成長がスパートを迎え、「さあここから」という良い時期。お父さんも未希さんの多球に力を入れ「さあここから」という実りの時期、少女は14歳を駆け抜ける、はずだったのですが……。ここで未希さんの多球耐性は底をつきました。

「思春期を迎えて、父の球出しが急に嫌になったのです。卓球はやめて、勉強の方を頑張っていきたいと父ではなく母に伝えました」。

「思春期の女子に父親が嫌われる問題」。人類がいまだに解決できない難題を、お母さんからぶつけられたお父さんは、自然の摂理にあらがわず、未希さんの急な引退宣言を静かに受け入れました。そして、有城さんが名門・青森山田高校に入ったタイミングで、未希さんも多球を卒業。お父さんとの7年以上にわたる毎日の多球練習はあっさりと終わりを告げたのです。

父の多球に愛の重みを感じて

それから15年ほどたったある日、

未希さんは家の近くにある喫茶店にいました。27歳の時に卓球選手の河又大和さんと結婚して1年後に第一子を出産。生まれたばかりの娘を見せるために、父親を待っていたのです。

「一度は卓球が嫌になってやめましたが、勉強したり、友達と遊んだり、ほかのことをしていても卓球のことが頭から離れませんでした。本当は卓球が好きだったんですね。そのことに気づいた中学3年生の春からはクラブチームで練習を再開。横浜商業高校、そして実業団の東信電気卓球部でもプレーが叶いました。多球は辛かったけど、こうやって卓球を仕事にできたのは父のおかげ。自分も子供を産んで親に感謝の気持ちが芽生えたので、お礼を言いたかったのです」。

多球練習を卒業してからは、お父さんと卓球の話をする機会はほとんどなかったという未希さん。面と向かってお礼を言いたい。けれど「卓球を教えてくれてありがとう」と言葉にするのはなんだか照れくさい。そのかわり、卓球を頑張ってきたことを伝えようとしました。

ところが……。

「父に『卓球頑張ってるよ』と伝えたら、父が『楽しく卓球してね』と言ったんです。その言葉に時が止まりました。あれっ、子供の頃は楽しい卓球だったっけ? と思って……」

(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)

それからさらに10年。赤ちゃんだった娘さんは成長して小学4年生になりました。娘さんは学校のマーチングバンドに入ると、ユーフォニアムという管楽器を担当。全国大会を目指して練習に励んでいます。

「夏休みなんかの長期休暇は、子供に『楽器を持ち帰って、毎日家でも練習しなさい』と口うるさく言ってしまうんですよ。『毎日やらないと感覚がにぶるから』って。子供はきょとんとしてますけど。卓球もそうですよね。毎日やらないと……」。

スポーツも楽器も毎日練習しないと上達しない。その口では伝えられない感覚を未希さんはお父さんとの多球に思いを馳せるように語りました。

そんな未希さんに「子供に卓球は教えないのですか?」とたずねると、「お父さんがしてくれたような練習環境を作るのは自分にはムリ」と即答。

確かに、特別な練習環境ですものね。お父さんが仕事終わりに毎日時間を作って球出し。一日2000球したら、1年で73万球。それを7年。仕事で腕が上がらず困ったことはなかったんだろうか?

「なぜ父があれほどまで球出しを続けたのか、本当に理由がわからないんです」。

そう言って虚空を見つめる未希さん。その胸には答えがこみ上げるようにも見えました。お父さんが出した球、ひろった球、その数だけ愛されていた。そんな答えが。

母になった未希さんはいま、卓球コーチのかたわら、マーチングバンドの役員を務めています。マーチング大会の準備や引率、練習の補助など。昨年はチームが全国大会で銀賞を受賞。娘さんの誇らしげな姿に、卓球で全国を目指していた幼い頃の自分が重なりました。

娘の活躍をいつお父さんに報告しようかしら。

未希さんは今、「ありがとう」を言葉にして伝えるタイミングを見計らっています。

河又 未希

7歳から父親の指導で卓球をはじめる。横浜商業高校から東信電気卓球部へ。引退後はタクティブでの指導を経て2023年10月横浜・大倉山の卓球教室「ピンポンマム」設立。全日本実業団ベスト16、全日本卓球選手権大会ダブルス・混合ダブルス出場、全日本社会人卓球選手権大会シングルス・ダブルス出場。関東ラージボール大会 混合ダブルス優勝。

河又さんの個人レッスン 60分 5,500円

住所:神奈川県横浜市港区大倉山7-2-13 白樺会館
https://pingpongmom.hp.peraichi.com/