「練習が全然できてないの~」と言いながら、明らかにレベルアップしている闇連専門のレディースたち。そう、彼女たちのバックには個人レッスンが得意なコーチがついているのです。予約待ちしてでも教わりたいスゴ腕コーチとは? その人気の秘密に迫ります。

いろんな打ち方があっていい。人間だもの

物心ついた時から1年のうち300日をジャージで過ごす女性がいる。大阪でレディースやパラ選手のコーチをする井上舞子さんだ。平日はレッスン、土・日曜は野球観戦やアウトドア。だからジャージ。これは理解できる。理解できないのは舞子さんのミズノ株式会社OL時代のファッション。きれいめオフィスコーデのお姉さんたちがヒールを鳴らして歩く群れを、すっぴんにジャージ姿でさっそうと追い抜く一匹の女狼。同僚に「その格好は違うんじゃない?」と注意されても、「卓球で汗をかいたらお化粧が落ちるので……」という言い訳で13年間の会社員生活をゴムのパンツで駆け抜けた。なんという自由人、だれがこんな奔放な性格に育て上げたのか?

その責任は舞子さんが小学校時代を過ごした大阪の卓球教室・星野クラブにある。彼女の師匠となる星野先生は「個性を生かす卓球」を重視。基礎練習もやらなかったという。「人と同じことをしなくていい。その考えのベースは星野クラブ時代に培われました。卓球の指導も生徒さんの個性を引き出すことを大切にしています。野球が好きな人には『バントみたいな当て方したらよく飛ぶよ』とアドバイスするんですよ。いろんな打ち方があっていいと思うので」と舞子さん。なんとも型破りで楽しそうな指導だが、舞子さんがそこまで吹っ切れた指導に至るには過酷な運命があった。舞子さんの学生時代をふり返ろう。

PHOTO:小中村政一

観察力を養った四天王寺学園時代

舞子さんは中学・高校と卓球の名門・四天王寺学園で部活生活を送った。母親からの「大好きな卓球が毎日できるで」という誘い文句に乗ってノリノリで入学したのだ。ところが現実は甘くなかった。舞子さんの二つ上にはのちに日本を背負って立つ藤井寛子さんや藤沼亜衣さんがいた。「ここには追いつけない……」。自分の限界を悟った舞子さんはすぐに先輩たちのサポート役に回った。当時は順応性が高く、あきらめが早かったのか、キラキラ輝く先輩たちがこぼしたボールを「はい、よろこんで!」と言わんばかりにノリノリで拾いにいく。そんな舞子さんの姿を見て、イライラを募らせていたある先輩がいた。

「ねぇ、くやしくないの?????」

そう言って舞子さんの胸ぐらをつかむ勢いで詰め寄ったのは、ひとつ上の先輩である福岡春菜さんだった。福岡さんも当時はボール拾い中心のクラブ生活だったが、野心の炎を決して絶やすことはなかったのだ。「福岡さんのひと言でスイッチが入りました。自分の卓球をやろう、全国で活躍する選手になろうと決めたのです」。

卓球と向き合うことを決意した舞子さん。とは言うものの、補欠の舞子さんに与えられた練習時間は限られていた。そこで、先輩のサポート中も自分の卓球のプラスになる行動をと、舞子さんは靴の中にバドミントンの羽を忍ばせ、それを踏みつぶさないようにかかとを上げてボール拾いをこなすようになった。

さらに、強い先輩たちの後ろで網を構えているときは、先輩の足の向き、身体の使い方などを観察し、徹底的にマネた。ある時は元日本代表の武田明子さんの卓球を自分のものにしようと研究。そのかいあってか? ある日、舞子さんが大会会場のベンチでバッグを肩に提げ、2階席を見上げた時に、まわりにいた実業団の選手が「武田さんにそっくり」と言って腰を抜かした。なんと武田さんの動作をつき詰めるあまり、卓球だけでなく生活動作まで似てしまったのだ。その完コピが功を奏したのか、舞子さんは中学3年生の全中でベスト8に入る。“全国で活躍できる選手”という目標をクリアしたのだ。

「自分の卓球の良さをベースに、周りのいいとこ取りをしたら結果が出ました」と語る舞子さん。この誰かの動きを再現するスキルは、コーチとなった今、卓球の指導にも役立っているという。「生徒さんが動いている姿を目を閉じて思い浮かべるんです。そして、その人の動きを自分の身体で表現して良い方向にもっていけるようにアドバイスする。それが私の指導スタイルです」。このレッスンの様子を舞子さんの生徒さんは「一休さん」と呼んでいる。ポクポクポクチーンで卓球の悩みを解決してもらえるなんて。一休さんに無理難題を丸投げする新右衛門さん気分で頼りたくなるのは私だけだろうか。

異質の中の異質、個性を極める

舞子さんが学生時代に身につけた指導スキルは、誰かの卓球をマネることだけではなかった。全中が終わった後、大阪在住の名指導者・作馬六郎氏に指導をあおぐと、そこから用具の迷走がスタート。さまざまな戦型を身につけることになる。「中学からお世話になった渡邊理貴さんのご夫婦のすすめでバックに半粒を使い、そこから発展してバックにアンチラバーを貼って全中でベスト8に入りました。その後に、作馬さんから『表表はどうや? 粒はどうや?』といろんな提案をいただきました」。舞子の戦型をどうすりゃいいの。だれが舞子の卓球を救ってくれるの。用具選びはまさに大迷走。で、いろいろ試した結果、インターハイは裏表で出場することに。ただし、スポンジが薄いので全然飛ばず。その短くてやっかいなボールが武器となった。「私の周りの指導者が大いに迷ってくれたおかげで、異質を使いこなせるコーチになることができました。私の生徒さんは異質の戦型の人が多いので、当時の経験が大いに生きています。恩師に『迷走してくれてありがとう』と伝えたいですね」。

基本を横に置いて一人ひとりに合った打ち方を教える、生徒さんの動きをマネして答えを導く、異質が大得意など、個性あふれる指導者となった舞子さん。人生の流れに沿いつつも、心の中でこぶしを握り続けた人だからこそ、オリジナリティにさらなる深みを追求するのだろうか? インタビューの冒頭に「人と同じような指導はしたくない」と言い切った。その力強い語気を、この原稿の最後に匂わせたいと思う。

「いつ死ぬかわからないなら、会う人に印象に残るアドバイスがしたいんです」。舞子さんの左胸には心臓のペースメーカーが入っている。高校2年生のインターハイ予選の後に入れたものだ。現在は車いす卓球のコーチとして活動する舞子さん。障がい者に寄り添えるコーチ。これは舞子さんのコーチとしての最大の強みと個性ではないだろうか。

↑2024年度全日本クラブ選手権大会で準優勝したときの一枚。決勝戦では舞子さんがラストを落とし、チームが優勝を逃す。そんな切ない結果も大阪のレディースは笑い飛ばして終わり。

井上舞子コーチ

同志社大学卒業、右シェーク裏表、ミズノ株式会社で卓球販促担当として、トップ選手やチームのサポート、卓球講習会などに携わり、13年務めたのち2021年にコーチとして独立。現在は個人レッスン( 5,000円+場所代)を中心に各卓球場で指導をおこなっている。インターハイ ダブルス 団体 準優勝、国体3位、全日本選手権 ダブルス ベスト8、関西学生新人戦 シングルス 優勝

・火曜日 HPC西ナンバ卓球センター 友の会2,000円 10:00〜12:00 13:30〜15:30
・水曜日 すみよし長居卓球センター 大人教室2,000円 13:00〜15:00
・金曜日(不定期) すみよし長居卓球センター 女性のたまのグループレッスン 2時間 ¥3,500