「練習が全然できてないの~」と言いながら、明らかにレベルアップしている闇連専門のレディースたち。そう、彼女たちのバックには個人レッスンが得意なコーチがついているのです。予約待ちしてでも教わりたいスゴ腕コーチとは? その人気の秘密に迫ります。

女性らしく優しい指導の訳は……?

見るからに「体幹強そう!」と内なる力強さに圧倒させられる人がいる。衣服を重ねて体を隠しても、私にはそのインナーのさらに奥のインナーの筋肉が透けて見えるのだ。元ハンマー投選手の室伏広治さんとか、元卓球選手の藤谷千穂さんとか……。

室伏広治さんはいわずもがな。藤谷千穂(41)さんとは、基本のフォームを知らずして全国高校総体シングルスベスト8までのぼりつめた伝説のカットマンだ。今は地元の姫路で個人レッスン中心の卓球指導をおこなっている。

私が千穂さんに初めてお会いしたのは今から1ヵ月前。彼女はカフェにジャージ姿で現れた。背筋がピーンとした美姿勢。全身を支える屈強な体幹筋力がうかがえた。こういう立ち姿の人は間違いなく運動神経が良い。お顔もショートカットがよく似合う体育会系、宝塚の男役にもハマりそうな美少年系だが、指導動画を見ると意外!(と言っては失礼だが)女性らしい柔らかさを醸し出す雰囲気だった。球出しをしながら穏やかな声で「ナイス、ナイス、そうです」とレディースに寄り添うコーチング風景。優しい。とても優しい。試合後に対戦相手からもらう、ひと口ゼリーほど優しい。「指導方針はありますか?」と千穂さんに軽いノリでたずねると……。

「頭ごなしに怒らない。自分の目標をおしつけない指導をしています」と、遠くを見つめながら千穂さんは答えた。えっ、過去に何かあったの? そのアンニュイな表情は壮大な物語があることを匂わせた。“ざわ”。「カイジ」の独特なフォントを使いたくなるほど、私の胸はざわつき、千穂さんの卓球人生の表も裏もひもときたくなってしまった。そして、もやっとしたところを片っ端からひもとかせていただいた。ハテナの霧を晴らすために。

師弟関係は突然に!

千穂さんが卓球と出会ったのは10歳の頃。卓球の指導者であるお母さんの試合を見るために訪れた地元の体育館だった。千穂さんがお母さんの応援そっちのけで会場を元気に走り回っていたところ、その運動神経の良さをある人物に見初められた。千穂さんのその後の人生に大きな影響を与える、おっちゃんコーチだ。

おっちゃんコーチはプレーヤーとしての実績はゼロ。仕事のかたわら近所の子供たちを公民館に集めて卓球を教える世話好きの普通のおっちゃんだった。ところが、その教え子である小学生男子が県大会3位となった瞬間から地域の卓人に一目置かれる存在になってしまった。しかもその男子は太っちょだったが、毎日の練習で痩せたため、おっちゃんコーチはなんと男子のダイエットも成功に導くという功績をのこしてしまったのだ。

まもなく成長期を迎える娘の母親にとって、その点は高い評価につながったのだろう。千穂さんのお母さんは「頼むから、あの先生に卓球を習って」と懇願した。千穂さんはお母さんのお願いを断り切れず、おっちゃんコーチに卓球を教わることになった。しかも与えられた戦型はカットマン。おっちゃんコーチはペン裏だったが、カットマンを育ててみたいという憧れで、千穂さんを巧みな技術が必要とされるカットマンに起用したのだ。

「コーチの指導はフィジカルの強化が中心でした。ドライブの打ち方は『背中を見せるようにバックスイングをとり、腕を伸ばして体から遅れてくるように腕をふれ』という指導だったので、ふり遅れて困りました」と、当時の指導を振り返る千穂さん。しかし、おっちゃんコーチは「俺も大切な試合の前には山にこもって、木刀でその素振りをしていたから間違いない」と言って背中を見せるドライブを生徒たちに教えて回った。そのフォームが体に染みついてしまった生徒の中には、大人になった今も連打ができない者がいるという。今よりもフォームが大きい時代ゆえのあるあるだ。

さらに、おっちゃんコーチは「プロの試合を見るな!」と怒るほど、自分以外から卓球の技術を学んだり取り入れたりすることは許さない主義だった。ある日、千穂さんは卓球の指導者である伯父さんと伯母さんに教わった見事な横回転サーブをおっちゃんコーチに披露すると、「やめろ!」と激怒。千穂さんは泣く泣く完成した横回転サーブを捨てた。

「コーチからは『フォアサーブもバックサーブもバックスイングを上に回せ』と教わりました。私には合わなかったのか、良いサーブができませんでした」。

千穂さんは、おっちゃんコーチ直伝のサーブのみで勝負をせざるを得ない状況だったが、なんと、そのサーブを武器に結果を出してしまった。卓球を始めて3年目で全日本選手権カデットに出場。13歳以下の部で6位となったのだ。これは奇跡なのか? それとも新たな物語の始まりなのか? 群雄割拠のカデットでは、ベスト16を決める試合で四天王寺学園の福岡春菜選手と対戦することになった。当時は21点制。第2試合で15-20と後がない状況に追い込まれた千穂さん。この苦しい場面で「そういえばまだしゃがみこみサーブをだしていなかった」ということに気づく。そして思い切って一本、しゃがみこみサーブを出してみると、これが相手のレシーブミスにつながった。味を占めた千穂さんは、そこから連続でしゃがみこみサーブを繰り出し、5点を連取したのちに逆転に成功したのだ。

この時のしゃがみこみサーブも、もちろんおっちゃんコーチ印。意表をつく仕上がりだったのか、そのサーブ一本で流れはガラリと変わり、続く試合も福岡選手は調子を取り戻すことなく終わった。のちに福岡選手はしゃがみこみの名手と呼ばれるようになるが、このときの試合をのちに雑誌のインタビューで「カデットのベスト16で藤谷さんに負けたから私は強くなった」と語っていたそうだ。まさかこの時の試合がきっかけで、福岡選手がしゃがみこみに勝機を見出したのだとしたら……。おっちゃんコーチは日の丸卓球の影の功労者となってしまうため、解釈を飛躍しないでおこう。

さて、カデットで結果を残した千穂さんは、卓球の強豪校へは行かず、地元の高校へ進学した。自由度が高く遠征の融通が利く私立校。この学校への進学をすすめたのもおっちゃんコーチで、千穂さんはここからは大きなプレッシャーと戦うことになる。

「おい、学校が1億円かけて卓球部専用の練習場を作るらしいぞ」「おい、寮もできるらしいぞ」。

ほんまかいなというバブル並みにでっかい話。そのひと言ひと言が若干16歳の千穂さんのメンタルに重くのしかかった。千穂さんの入学によって新設された女子卓球部。学校から大きな期待が千穂さんひとりに寄せられていたのだ。

「高校生になってからは大きなプレッシャーとの戦いで、スマッシュイップスになってしまいました。おかげでドライブが上達して、『ドライブといえば藤谷さん』と言われるようになりましたが」。

良くも悪くも、おっちゃんコーチから教わった“背中を見せるドライブ”は、いつの間にか周りを黙らせるほど千穂さんが昇華させた。それ以外のおっちゃんコーチからの指導は、元旦に山に登って頂上から「日本一になる」と叫ばされるなど精神論が中心だったが、千穂さんは授業中に空気イスをするなど、筋トレだけは日本一努力したため、カットマンに必要なフットワークは群を抜いていた。そのかいもあり、インターハイではシングルスベスト8、ナショナルチームの合宿にも呼んでもらえるようになった。

そして、大学は関東屈指の強豪校・淑徳に進学。地元を離れた千穂さんは、ようやく自由を手にできる、自分らしく卓球ができると思ったのだが……。

「大学の監督に『フォームが何もかもだめ』と言われてフォームを直すところから大学生活がスタートしました」と千穂さん。さらに、先輩たちのコーチに対する態度を見て目から鱗をボロッと落とすことになる。

「先輩たちはコーチの言うことを全然聞かないんですよ。注意されたら、にらみ返すほど、みなさん自分をしっかり持っていて、卓球の頂点を目指すにはこのくらいの気迫がないとだめなんじゃないかと、コーチに強く主張できなかった自分は上を目指せないんじゃないかと悩み始めて……」。

高校時代は千穂さんがひとりエースだったが、名門の淑徳大学に入ると、そこは群雄割拠の世界。練習場には常に緊迫した雰囲気が漂う。さらに、ふたつ上には不動のエースである藤井寛子さんがいた。藤井さんは無駄なことは一切しゃべらない主義。千穂さんは藤井さんが打つボールが重すぎて拾えずにいると、「ミスが多すぎる」と、藤井さんからぴしゃっと注意された。スキがない。とにかく怖い。一刻も早く逃げ出したい。千穂さんは先輩とダブルスを組ませてもらう関東学生リーグまではと踏みとどまったが、入学してから4カ月後、7月の終わりに大学を辞めて実家に帰った。一生懸命取り組んできた卓球。人生のすべてだった卓球。けれど、おっちゃんコーチと離れ、自分と向き合う時間ができると、心がこう答えたのだ。

「卓球、やりたくない」と。

本当の自分を探して

それから20年以上の月日が流れた。10代の終わりから40代へ。多くの女性にとっては人生のハイライトといっても過言ではない華やぎの期間だが、千穂さんにとっては自分探しの時間となったようだ。淑徳大学を辞めた後は、近畿大学の卓球部に入り、近畿選手権2位といった好成績をのこす。卒業後はミズノのアドバイザリースタッフとして全国の講習会に呼ばれるようにもなった。

そんな出世街道の中で、千穂さんは心の中でクリアにならない思いにずっともがいていた。それは「自分の思いを表現できない」苦しみだった。それまで卓球を休みたい時は何度もあったが、いつも良い子の自分が現れて、休みたいと言わせてくれなかった。おっちゃんコーチに無茶なことを言われても逆らえなかった。卓球人生に折り合いをつけながら、それでも折り合いがつかない時は、心理カウンセラーの資格を持つ英会話の先生が心の支えとなってくれた時もあった。「このままの自分でいいのだろうか……」。そんな自問自答の時期を経て40歳を迎えた時、ある転機が訪れた。

SNSでダイレクトメールをくれた淑徳大学の先輩・藤井寛子さんと東京で20年ぶりに会うことになったのだ。藤井さんといえば、あの“ミス一喝事件”のイメージが強く、千穂さんは藤井さんに会う日まで警戒していた。びくびくと。ところが当日、カフェに訪れた藤井さんの顔を見ると、緊張が一瞬でとけた。大人の女性が醸し出す柔らかな雰囲気。藤井さんの印象はガラリと変わっていたのだ。話し出すと懐かしく楽しい会話が場を和ませた。余計なことは一切話さなかった藤井さんだったのに、今は気楽に話せる。心を通わせることができる。そんな普通のことがうれしかった。

そして、話しが進むなかでリラックスできたからか、千穂さんは以前から藤井さんに言ってみたかったひと言を口にした。

「藤井さん、むかし怖かったですよ」。

千穂さんは言いきった。大学時代なら絶対に言えなかった大先輩への苦言。打ちミスの数々は時効と言えるほど月日は流れているが、藤井さんはどういう反応を示すのだろうか? ハラハラしながら返事を待っていると、藤井さんは間を詰めるようにこういった。

「ごめんな」

続けて「ごめんな。何もしてあげられなくて」と。

2人の間に流れる空気がふっと軽くなった。千穂さんはすべてを理解した。たった4ヵ月しかいなかった後輩のことを、藤井さんはずっと気にかけてくれていたんだ。ダイレクトメールをくれたのは、気まぐれではなかったのだ、と。

千穂さんは目の前の霧がすっと晴れる瞬間を見届けた。同時に、心の沈殿物が溶けていく気がして嬉しかった。嬉しかったが、同時に藤井さんに「ごめん」と言わせてしまったことが申し訳なく目を伏せた。その気配を察して、藤井さんはすぐに「それでいい、言っていいのよ」と答えた。千穂さんは過去の自分を乗り越えられた気がした。私は良い子だった。良い子過ぎた。これからは言いたいことを言おう。そう心に決めたのだ。

「卓球が嫌いになった時もありましたが、今は成長できる子供の時に卓球をやっていて良かったと思います。こうやって人を喜ばせられる仕事ができているから」。

過去を整理し、卓球を天職にできた千穂さん。取材後に、千穂さんがカフェをさっそうと出ていく精悍な姿に私は目を奪われた。そこには、自分の思いを抑え込んできた人のビクビクとした印象はかけらもない。胸をピーンと張った美しい立ち姿は、体幹筋力だけではなく、いろんな人に支えられた自信によるものなのかな。千穂さんは今、人生のすべてである卓球に感謝しているという。

おっちゃんコーチ、幸せ者だな。

藤谷千穂
近畿大学卒業後、日本ペイント株式会社に入社。その後、ミズノアドバイザリースタッフとしての活動を経てフリーランスコーチに。現在は個人レッスンを中心に指導を行なっている。全日本カデット13歳以下6位、全日本ジュニア5位、インターハイベスト8(全てシングルス)、ドイツユースオープン団体優勝。2025年新スポ連全国卓球選手権大会40Lシングルス優勝。

◯水曜日 尼崎出張個人レッスン 他の曜日もたまに実施中。
場所:LOS卓球場  時間:13:00〜17:00
価格:1時間5500+場所代+姫路からの往復交通費をその日の受講者で割って頂きます。
◯木曜日 コープスポーツ卓球教室。
姫路市別所 時間:13:30〜15:30 価格:3ヶ月10回8800円
※詳細な場所等問合せはコープスポーツ事務局(078-422-4989)へ

◯金曜日
場所:姫路市立総合スポーツ会館 時間10:00〜12:00
価格:週1回3700円 週2回5000円

※レッスン詳細
http://fujitanichiho.fc2.net/blog-date-20251203.html