WEBメディア「卓球レディース」に取材されたいかどうかはさておき、大会の副賞、イベントの粗品、お詫びの品などの名目で、ある日突然、卓人のもとに届く“取材券”。この権利を行使するかしないかは本人次第。勇気を出してこの券を使ってくれた001人目・竹村大輔さんの記事をここに掲載する。

胸がしめつけられるような? ハンドソウとの運命の出会い

少女漫画の読みすぎでしょうか。10代の頃は運命の出会いに憧れておりました。リアル真壁くんと街角でバッタリ出会い恋に落ちる、なんてね。出会いの瞬間に出るオノマトペ「キュン」という音を我が耳で聞いてみたくもありました。なのに、なのに、気づいたら合コンで知り合った夫と結婚していたなんて。現実とはそんなものです。

ところが、ここに運命の出会いを体験した男がおりました。東京の卓楓会に所属する竹村大輔さん(43)です。竹村さんは長野県出身で高校生スタートの卓人。高校卒業後は上京して星薬科大学に入学。卓球部がなかったため、早稲田大学の卓球サークルで腕を磨き、社会人になっても卓球を続けていました。

そんな竹村さんの練習拠点は世田谷にある「卓球会館こいけ」。映画『ピンポン』のロケ地としても有名な老舗風情漂う卓球場で、高齢のオーナーが卓球場を閉めるその日まで、竹村さんはここに通いました。そして、卓球場の取り壊しが決まると、率先して後片付けの手伝いに。

その日、ロッカーの掃除から始めた竹村さん。すると、オーナーが……

「ここにあるものは何でも持って帰っていいよ」と言いました。

「えっ、いいの???」竹村さんは、掃除ついでにロッカーの中を物色。「歴史ある卓球会館だからお宝が眠っているのでは?」とワクワクしながら、ひとつひとつロッカーを開けていったのです。ところが、どこも空っぽ。まぁ、そんなもんでしょう。あきらめモードで最後のロッカーを開けると、なんとそこには箱に入ったラケットがありました。しかも未開封。

「新品のラケットだ。ラッキー!!!」

思わぬ戦利品を見つけた竹村さんは、期待に胸を膨らませて箱の上につもったホコリをはらいました。すると、目に飛び込んできたのは、ありえない方向から付いているグリップ。「???これはラケットか???」竹村さんは箱から謎のラケットを取り出し、なんとなく握ってみました。すると……

キュン♡

しっくり手になじむ滑らかなグリップ。角度が出やすい計算されたフォルム。「なんて扱いやすいラケットなんだろう」。竹村さんが手にしたそのラケットは日本に数本しか現存しないピンメイト製のハンドソウでした。「これを使って卓球できたら……」。竹村さんの心は踊りましたが、ピンメイトのハンドソウは守備型好み。重くて振りにくかったため、ドライブマンの竹村さんは使用を断念。それは竹村家のクローゼットで再びほこりをかぶることとなったのです。

↑ピンメイト製のハンドソウ。検品シールがきれいに貼られたまま、竹村家で大切に保管されています。

卓球人生をハンドソウに捧げるために男の戦いはここから始まる

それから7~8年がたったある日、竹村さんはYouTubeで軽くて使いやすいハンドソウが世に出ていることを知りました。それはakkadi社の「ベイオネット」というラケット。ハンドソウマニアの開発者が設計したラケットは軽いだけでなく全体のバランスも絶妙だと言うのです。ハンドソウにときめきの記憶があった竹村さんは思わず購入。実際に使ってみると、シェークとの感覚の違いもさほどなかったので、思い切って試合で使うことに。

すると、ハンドソウを購入してわずか1週間後の大会で……優勝!!!

それまでオープン戦では2、3回戦どまりだった竹村さん。ラケットの特殊な形状によりサービスがわかりづらかったのか、手を返すだけのビンタのようなミートうちがよかったのか、理由はよくわかりませんが、それまで勝ったことのない相手を次々と破って優勝したのです。それがきっかけとなり、竹村さんは迷うことなく、ラケットをシェークからハンドソウに変更。

用具を替えたばかりの頃は、チームメイトに「血迷ったか」と疑われ、「シェークに戻した方がいい」と猛反対を食らったと言います。ところが、竹村さんの卓球の成績はその後も右肩上がり。結果で仲間を黙らせることができました。自然と目標もでき、いまは全日本マスターズの都道府県代表を目指しています。

「いつかマスターズの代表になりたい。代表かそうでないかは、その先に見える景色が違うと思うので」。

マスターズは夢の途中ですが、2024年10月9日に開催された「ハンドソウNo,1決定戦 川又杯」では見事、優勝を果たした竹村さん。ハンドソウ界で世界の頂点に立ちました。対戦相手は両面アンチ、両面一枚ラバーなど異質が中心。彼らに勝つには基本技術を磨かないと太刀打ちできないと、シェークとハンドソウの打法の微妙なズレを、この日のために1年かけて修正したのだとか。とんでもない熱量。ちなみに、竹村さんの挑戦に伴走したコーチはラージボール王者の池田亘通(わった)氏。ハンドソウを池田氏に預けて研究してもらい、二人三脚でつかんだ優勝だとか。師匠に優勝報告ができて良かったですね。

↑池田氏の指導のもと、サービス・ツッツキ・ドライブなど、基礎技術のすべてを見直した。

そんな竹村さんが今一番心配しているのは、「ベイオネット」が廃盤になることで……。

「ここまでハンドソウの技術を磨いてきたのに、ラケットがなくなってしまったら元も子もない。廃盤になったらと思うと怖くて」。

そんな不安を抱きつつも、竹村さんはいまハンドソウの普及活動をはじめています。それまであまり交流のなかったシニア世代の方やレディースに声をかけてハンドソウをすすめたり、SNSで#ハンドソウをつけて活動を発信したり、慣れないことを頑張るのは、卓球人生最後の日までハンドソウと共に戦うため。その一環で、2年後には故郷の長野県に卓球場をつくる予定。2歳と4歳になる子供に卓球の指導もはじめるのだとか。

私「お子さんのラケットはもちろん、ハンドソウですよね?」

竹村さん「いや、シェークです」

OTIGATUKANAI……( ;∀;)。

理由は子供用のハンドソウがないからだとか。どこかの卓球場のロッカーに子供用のハンドソウは眠っていないかな? 見つけたら、竹村さんに送ってあげてください。北アルプスのどこかから「キュン」というオノマトペがこだまするかもしれませんよ(^_-)-☆

↑優勝の副賞として授与された当サイトの取材券。竹村さんの次に、この夢の?権利を手にするのは誰だ?