企業で地道に活動する卓球部に光を当てたインタビューコンテンツ「行け! 〇〇会社卓球部」。今回取材したのは大分みらい信用金庫の卓球部。学生の部活とは似て非なる大人の青春ストーリーをお届けします!

大分県予選に立ちはだかる明豊の壁

“みらいしんきん”の呼び名で地域の人に愛される「大分みらい信用金庫」。40年ほど前は各支店に卓球台があり、休憩時間に卓球に興じる人も多かったとか。やがて卓球好きの仲間が集まり卓球部が創設。創部から10年ほどたったころ、卓球が上手いという理由で当時の支店長に青田買いされたのが、現在の卓球部部長・加来真さん(51 )だ。

「支店長の息子さんの練習相手をしていたら内定が決まりました」。そんな卓球推薦で入社した加来さん率いる現在の卓球部は現在男女合わせて10名。普段は個々で腕を磨き、月2回ほどのオープン戦で顔を合わせるという部活スタイル。部員そろって全日本選手権の予選にも出るのだが、いかんせん大分県は名門校・明豊のおひざ元。血沸き肉躍る怪童たちを倒さないと代表の座を手に入れることはできない。

「明豊はお客さん。集金に伺った際、監督に選手の情報や勝つための秘策を聞き出していました」と加来さん。しかし、その情報が役に立ったことは一度もないという。技術力の差があり過ぎて明豊の壁を越えられない、嗚呼! みらいしんきん卓球部。ある日、加来さんは同じように明豊の壁に悩む高校から外部コーチ・監督のオファーを受ける。それは別府にあるもうひとつの強豪校・別府溝部学園だ。加来さんは同校に練習に通っていた縁から、このオファーを快く承諾。金庫職員と卓球部監督の2足のわらじをはく覚悟を決めたのだが……。

「当時は生徒との向き合い方がわからなくて勉強の日々でした」と加来さん。生徒と共に駆け抜けた4年の日々を語ってくれた。

生徒の表と裏の顔に翻弄されて

加来さんは何事も全力だった。監督を引き受けたからといって職場に迷惑はかけられない。丁寧に仕事をこなしつつも早く終える努力をした。そして、監督を引き受けたからには生徒を全国に連れていきたい。人当たりの良い雰囲気で、強豪校の名将に合うたびに練習メニューを聞き出し、別府溝部学園の生徒たちに合う内容にアレンジして、究極の練習メニューを作り上げた。

気づけばプライベートの時間はなくなったが、それでも頑張れるのは生徒たちの笑顔があったからだ。生徒は加来さんと顔を合わせるたびに「この間、おしえてもらった技が身につきました」「最近調子が良いんです」と嬉しい報告をしてくれる。加来さんは素直にこの言葉を受け取っていたが、あまり上達が見られない生徒の様子を不思議に思うようになった。そして、顧問の先生に自分がいない時の生徒の様子を聞いてみたところ……。

先生は「あいつら遊んでますよ」とひと言。

( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)

驚いた加来さんは不在のフリをして練習をこっそりのぞきに行った。すると、生徒たちは練習メニューをこなすどころか、ドライブマンがカットマンでラリーしていたり、右利きの選手が左手でラケットを握っていたり、目にした光景は顧問の先生の言う通り“お遊び卓球”だった。「やられた……」。監督の前での良い子のふりは、試合に出たいがための演出であったことに気づき、失意のどん底に突き落とされた加来さん。それでもあきらめずに考えた打開策は意外なものだった。

ものまね歌合戦流の秘策で生徒に喝

従順だと信じ込んでいた生徒には裏の顔があったことに気づいた加来さん。秘策がひらめくと、すぐに行動に出た。

「遊んでいる生徒に、後ろからこっそり近づいて、耳元で『何やってるの?』と優しく語りかけるんです。驚いてましたね」と加来さん。

それはまるで、ものまね歌合戦のご本人登場シーンのよう。本家はものまね芸人に感動と喜びをもたらすが、遊んでいる生徒にとってこの演出はホラーでしかない。

現場をおさえた状況だが、加来さんは怒らなかった。「怒るのは顧問の先生に任せていました。私はフォロー専門で、生徒に『こんなことをしているうちに、勝たなければいけない選手とどれくらい差がついているか』を本人が納得するまで説明しました。顧問の先生がお父さんで、私がお母さん役のような指導ですかね」。

母親のように親身に接する加来さんの話に徐々に耳を傾けるようになった生徒たち。みらいしんきんの卓球部員も練習パートナーとして全力でサポート。おふざけのあった部員たちがチームとしてまとまり始めると、加来さんには「これは行ける!」と思う瞬間があった。

「それまで、明豊との対戦で5点取って満足していた生徒が、明豊に負けた後に泣いたんです」。

泣く子がひとり、ふたり、試合を重ねるたびに増え、やがて出場選手全員が明豊に負けると泣くようになったころ、加来さんは全国を狙えると確信した。加来さんが監督に就いて3年後のことだ。

そして、その翌年の全国高等学校選抜卓球大会の九州地区予選会では、三つどもえになったものの得失点差で女子が予選を通過。別府溝部学園は団体で悲願の全国大会へのキップを手に入れた。九州の壁をついに越えたのだ。

「とにかく私も一生懸命にやって、生徒が負けたら一緒に泣いてという『スクール・ウォーズ』のような4年間だったので、この大会が一番の思い出です」。

卓球部として勢いがつき、これからというところだが、その一年後、仕事が忙しくなった加来さんは惜しまれながらも監督を引退。送別会では生徒全員から手紙が渡された。

「手紙の中に『高校選抜へ行けたのは、監督が後ろから一緒に戦ってくれたからだ』という一文があり、とても感銘を受けました。頑張ってやってきて良かった」と加来さんは当時に思いを馳せる。

後ろからこっそり「なにやってるの?」とささやく監督は、4年の歳月を経て、後ろから一生懸命生徒を応援する監督になった。それは生徒の成長があったからこそ。

そして、さらなる成長を遂げた生徒のひとりは、現在、加来さんの部下として働いている。別府溝部学園の元卓球部の生徒が、みらいしんきんに入社し卓球部員になったのだ。「卓球部員は10名ですが、主力メンバーが少ない。男女ともあと2名ずつ入ってくれたら余裕をもって団体戦に出られる。みんなの力が発揮できるよう、新入部員に入ってほしいですね」。

先日、年齢別のダブルスで九州大会3位になった加来さん。指導から離れた今は自分の卓球に集中。お兄さんの影響で中学から始めた卓球は知識と技術がかみ合い、今が一番仕上がっているという。加来さんが、みらいしんきん卓球部員とともに明豊の壁を越えるみらいを思い描きたい。