こちらは『卓球レディース』編集長の西村が、NOルールで綴る馬鹿馬鹿しい卓球日記です。今回は私のラケットの変遷、そして頼れる相棒、今は廃盤となった日中号との出会いについて語ります。

タイムカプセルの中におそらく眠ったままの日ペン

私が初めて自分のラケット手に入れたのは高校1年生の時。先輩が問答無用で選んだ日本式ペンホルダー、略して日ペン(×美子ちゃん)でした。高校三年間の卓球部生活をともに過ごし、卒業したあとは、ユニフォームやぜっけんと一緒にお菓子の空き缶に入れて自宅の庭に埋めました。That’s タイムカプセル。

10年後に庭から掘り起こし、懐かしさに興じようと計画しておりました。が、まさか社会人として東京で働いている9年後に実家が引っ越すとは想像もしておりませんでした。新しい入居者が庭の一部の凸に気づき、「なんだこれ?」と掘り起こしていたら超ハズい。缶を開け、ラケットを手にとり、それを裏返し、バック面に貼られた「ゴマちゃん」のステッカーが目に入ったら、、、主は何を思うでしょうか? どうか地中に眠り続けますように。1万年後のモース博士に発掘してもらえることを祈るばかりです。(私の日ペンが埋蔵文化財として歴史を知るための貴重な資料となりますように!)

中ペン、シェークを経て日中号にたどり着く

高校の卓球部引退後、私は部活仲間のKさんと一緒にお遊び気分で中ペンを買いました。結局、数回しか使いませんでしたが、これは大人になってからも私の手元にずっとありました。デストロイヤーの異名を持つ私にとってこれは奇跡。なんせ物を壊したり、なくしたりが専門分野なもので。きれいな状態で保管できていたことに我ながら感心しました。

20年後、卓球を再開したときは、長年温めていたこの中ペンを使いました。すると、いきつけの卓球場で「3枚合板の中ペン女」というあだ名をつけられてしまいました。今は5~7枚合板が主流なので、昔の3枚合板が珍しかったのでしょう。変なあだ名をつけられ、居場所をなくした私は、周りにこびへつらうように、シェーク(スワット)を使い始めました。

シェークは日ペンとは違ったおもしろさがあり、再び卓球にはまるきっかけとなりました。シェークに興味を持った私は、「ほかにどんなラケットがあるんだろう?」と調べていると、youtubeにラケット試打なるニッチなジャンルが存在することに気づきました。私は毎晩見あさって、ドニックのセンゾーカーボンという持ち手の中心が空洞になっている上肢重心のラケットを購入しました。「これで自分もオフチャロフになれる」。鼻息が荒くなりました。しかし、半年の間、懸命に練習しても、個人レッスンを入れても、卓球ノートをつけても、ペンホルダースタイルは改善されないまま。卓球をやっている人しか知らないと思いますが、ゆうさんを恨みたくなりました。

落ち込んで再び三枚合板の中ペンを使い始めると、「そのラケット、西村さんに合ってないのでは?」と、あるコーチに声をかけていただきました。試打業界、東の馬龍・ゆうさんに引けを取らないラケット通で知られるお方、西の馬龍・小寺コーチでした。

「西村さんは手が小さいし、もっと小ぶりで振りやすいものがいいですよ」と言って、バタフライの日中号なるペンラケットを勧めてもらいました。そして、小寺さんの日中号を使わせてもらうと、なんと操作性のよいこと。小ぶりで切り替えもしやすいし、素材が入ってないのに飛びもいい。グリップの素材はコルクではなくウッドが使われており、握ると大自然のやすらぎを感じました。

日中号にビビッときた私は、家に帰ってバタフライのカタログを隅から隅まで見ました。すぐさま購入したかったのです。が、載ってない(涙)。小寺さんに問い合わせると、廃盤品とのこと。自分のソウルメイトが現世にいない悲しさに打ちひしがれていると、小寺さんがネットオークションで日中号を落札してくださいました。さすがは西の馬龍。

それから数年たった現在、私は今でも日中号を愛用しています。使いやすさはもちろん、一本持っているだけでいろんなドラマが生まれるからです。

以下、ドラマ名ゼリフ

「それ、僕が卓球を始めた時に使ってたラケットです!」by 岐阜のyoutuber

「西村さん、それ『閃光5』でっせ」by 大阪の卓球専門書2000冊保持者

「えっ? (日中号使うほどキャリアあるのに、へたくそ?)」by ローカル試合の対戦相手

私はこれからも日中号一筋。とは断言できません。なんせ試打動画が大好きなもので、寄り道もすると思いますが、基本は日中号でプレーしようと思っています。

なので、タマスさん復刻版キボンヌ。

↑試打業界、西の馬龍であり、TAMAチャンネルを運営するHPC卓球センター小寺さんのラケットコレクション