こちらは『卓球レディース』編集長の西村が、NOルールで綴る馬鹿馬鹿しい卓球日記です。高校一年生の夏に訪れた京都・綾部。初めての卓球合宿で先輩に命じられたフォアラリー100往復は成功となるか? 前編に続く後編です!
100往復のラリーに注がれた友達のありったけの愛
3泊4日の夏合宿は甲子園の開催期間と重なっていました。うちのキャプテンが「甲子園に出場する選手がお兄さんではなく、気づけば自分たちと同い年だなんて驚きです」とお宿のおばちゃんに話していた姿が忘れられません。
(こちとら気づけば、球児は我が子世代といえるほど年をくってしまい相当驚いていますが……)。
当時の甲子園球児は、娯楽の少ない田舎娘にとって光GENJI級の大スター。彼らは幼い頃から野球の指導を受けて10年以上たったいま、完成された技と体で大舞台に立っているんですもの。その精悍な姿を想像すると、自販機の前でしゃがみ込み、溝に落ちた100円玉を探す自分がちっぽけな存在に思えました。(※前編参照)
高校から卓球を始めて3ヵ月。まだ試合すらできなかったんですよ、ええ。おかげで同級生とは仲良くなれたけど、先輩とは卓球の話すらできなかった。ボールがラケットに当たらない、当たってもホームランでいつも先輩に球拾いさせてばかり。その罪悪感から饒舌な卓球トークは飼い猫にしかできなかったんです。
そんな超初心者の私にとって、本合宿の綾部の体育館は広かった(涙)。
私のミスで遠くへ転がるボールを先輩が走って拾いに行き、手にするころ、私の目には豆粒サイズほど小さくなった先輩の後ろ姿が映っていた。心の中で合掌して「ごめんなさい」とテレパシーを送ったけど、盛夏の体育館、発汗の10代男子には謝罪の量が足りなかっただろーに。
罪悪感で凹みながら、その夜にまた「お風呂密室事件」(※前編参照)に遭遇して学習のなさに凹み、眠れない夜を過ごしました。
そして迎えた合宿3日目、ここに来てから2日もたっているのに何の手ごたえも感じられない。そんな悔しさと暑さで頭がのぼせるころ、私はNちゃん相手にフォアラリーを続けていました。
「31、32、33……」。
肩を落として力が抜けたせいか、フォアラリーはこれまで続かなかった30回を上回りました。合宿スタート時に先輩から仰せつかったフォアラリー100回。「できるわけない」と聞き流していたけど、もしかしたらいけるんじゃないか? Nちゃんをちらっと見ると、集中力が高まった真剣な表情。そしてその顔には、私のノーコンなボールを何が何でも拾う、私の打ちやすい場所に何が何でも届ける、私のために何が何でも100本続けるという愛が溢れていました。
OMOIDASUDAKEDENAKERU―――( ;∀;)
卓球は実力が釣り合う人と練習するのが一番楽しい。「こんなヘタクソな自分と一緒に練習するのは嫌だろうなー」と卑屈になっていた私にとって、Nちゃんが心を込めて私に届けてくれるラリーの一本一本は釈迦がおろしたであろう蜘蛛の糸ほどの重みがありました。
地獄から天国へ。私を上手くてしてやろうと、みんなと同じレベルに引き上げてやろうと情けをかけてくれている。それがわかる。だって、ボールに乗ったNちゃんの真心が、ラケットを持つ手元に響くんだもの。だからこのボールからは絶対に手を離してはいけない。そんな神にすがる気持ちで一本一本をつないだのです。
「97、98、99、」
「100!!!」
Nちゃんと私の声が重なった時、ラリーは100往復を超えました。同時に、二人を紡いだ蜘蛛(緊張)の糸もプツンと音を立てて切れました。Nちゃんは花が咲いたように明るい笑顔。おそらく私も鼻水をたらして笑っていたと思います。私は「ありがとうありがとう」と柔らかい気持ちで感謝のマントラSを唱え、さらにラリーを重ねました。そして120往復以上続いたところでボールは自然とラケットから外れ、その役目を終えました。
生涯手放すまいと誓ったタオルが土に還る
合宿4日目、最終日は部内戦でした。合宿の成果を放出し合う場面。とはいえ、私はそれまで練習形式であっても試合の経験はありませんでした。合宿で覚えた下回転サーブ(ほぼナックル)だけを武器に仲間に挑みましたが、もちろん勝てるはずがありません。まだドライブも完成していなかったので、そもそも下回転サーブなんて出したら、3球目でネットにひっかかることは予定調和なのですが、そんなことも理解できないほど、16歳の私はほろ苦い卓球バカだったのです。
弱小公立高校の部内戦とはいえ、上位トーナメントに出場する人は小学生スタートの猛者。1ゲームをとることさえ夢のまた夢NA・N・DE・SU・GA、ひとりだけ勝ちたい相手がいました。私と同じタイミングで卓球を始めた顧問のU先生です。
私たちは「卓球を始めたのが遅い」という理由だけで、ふたりともペン表を命じられた用具受難者。OBの先輩が選んだスペクトルを共に武器とし、本大会での対戦では、下回転(ナックル)サーブからのつっつき(ナックルレシーブ)というナックル合戦を繰り広げ。ナックルネット、ナックルオーバーで点を奪い合い、セットオールに到達しました。
「どうしてもU先生に勝ちたい」その熱い闘志で食らいつきましたが、U先生は当時25歳。大人になりきれない微妙な年齢が本能を丸裸にし、負けず嫌い上等の「掛け声戦術」を浴びせてきました。
U先生「蝶のように舞い、蜂のように刺す!!!」
ラストのサーブで上記↑の雄叫びを上げたU先生に、ぷっと笑ってレシーブミス。私はU先生に敗北し、再び地獄へと舞い戻りました。そこからは魂が抜けたように、みんなが活躍する場面を眺めていました。
「ナイスボール! みんなドライブで点がとれて気持ちがいいだろうなー」パチパチ。「表彰式? そんなのあるんだ」パチパチ。「Nちゃんが3位、一年生女子なのにすごいね」パチパチ。「へー賞品がもらえるんだ」パチパチ。「やっぱりキャプテンが優勝か、公式戦では勝負弱いのに部内戦では勝つんだねー」パチパチ。
と腐りごとを暗唱しながら、周りに合わせて要所要所で手を叩いていたら、U先生が突然切り出しました。
U先生「えー、ここで急遽、敢闘賞を発表したいと思います」
なになに? 敢闘賞って??? 私だけでなく周りもザワつきました。
U先生「敢闘賞は西村です」
えええーーー!!!
1ゲームもとることができなかった私が敢闘賞? そもそも敢闘賞ってなに? 意味がわからないまま、前に出て商品袋を受け取りました。袋を開けると、中にはスポーツメーカー・Championの白いスポーツタオルが入っていました。
U先生「今回の合宿で一番努力したのは西村だと思います。昨日、ラリーが100回続いたのを見て、何か賞を用意してやりたいと思い、夜に開いている店を探して賞品を用意しました」。
えーーーーーー!!!!!
突然のサプライズに驚いて立っていると、卓球の話なんかほとんどしたことのない先輩たちが、口々に「ホントにうまくなった」とつぶやきながら、まばらに拍手をしてくれました。ボールを追いかける背中が豆粒になった先輩も、私の用具を適当に決めたOBの先輩も、みんな、みんな。
FUTATABINAKERU――( ;∀;)
大きな建物は体育館しか見当たらない田舎の綾部で、夜に開いていたスポーツショップはどこにあったんだろう。自転車も車も電車もないのに。そんなことを考えると、白いスポーツタオルは黄金色に光って見えました。
私はそれ以来、試合があるときは必ず、この時にもらった白いタオルを持っていきました。コートに立つと自分一人なんだけど、なんだか一人じゃない、チームメイトに見守られている気分がして心強かったのです。
敢闘賞タオルを大切に大切に使い続け、このタオルを持って試合に出る時は、公立高校の選手には絶対に負けない(強豪校の選手はご勘弁)。その気持ちで引退まで頑張りました。
そこまで大切に使ったタオルだからこそ、永遠の記念品にしたいと考え、引退後はタイムカプセル(お菓子の缶)に入れて庭に埋めました。大人になった10年後に庭を掘り起こし、タオルを抱きしめて青春の思い出に浸ろうと計画していたのです。が、まさかその9年後に実家が引っ越すとは……、この時は知る由もありませんでした。
あのタオル、どうなってるんだろう?
終わり