こちらは『卓球レディース』編集長の西村が、NOルールで綴る馬鹿馬鹿しい卓球日記です。元卓球選手の母のしつけは独特でした。若い時にもっといっぱい卓球の話がしたかった。一緒にラリーがしたかった。

私が卓球に興味を持たないように、選手時代の話を一切しなかった母

私の母は先日90歳を迎えました。足腰が丈夫で、なんと82歳まで喫茶店で立ち仕事をしておりました。1日8時間におよぶ激務も「若い頃、卓球してたから休憩しなくても平気なの」と常連さんに自慢していたそうです。母は卓球の話になると饒舌だったそうですが、私の前では卓球の“た”の字も出しませんでした。

なぜなら、母は私に卓球を禁じていたからです。

母が卓球の選手だったことと卓球というスポーツを知ったのは5歳の頃。私が押入れに隠されていたラケットを発見し、「これは何?」と問うたのがきっかけでした。母と一緒にそのラケットを使ってちゃぶ台ピンポンをしたら、なんとおもしろいこと。私がどんな方向にホームランボールを打ち上げても、母は飛びつき、そして正確に私の手元にボールを返してくれるのです。母の意外な特技を知った私は大興奮。鼻の穴を膨らませて「卓球を教えてほしい」と懇願しました。ところが、母は「卓球ほど辛いスポーツはこの世にない。卓球だけはやったらアカン!」と鬼の形相で怒ったので、私もそれ以上は求めませんでした。

あれから40年あまり。母の顔から勝負師の一面は消え、かわいいおばあちゃんになりました。認知症で的外れなことばかり話しますが、卓球のことだけは脳がシャキッとするのか、私の試合動画を見せると「あんたヘタクソやな」と至極まともなことを話します。銀行勤め時代、お札を読むのが速く“千手観音”と呼ばれた母の手のひらはしわくちゃで、感情線と生命線が谷折り線となり、母の手を軽く内におさめています。私はその丸まった手をさすりながら母に懸命に育てられた我が身を振り返るのでした。

母の頭の中には常に卓球があったのではないか?

普段の母はとても優しい人でした。私が泥だらけの手足で家に上がっても、横断歩道を飛び出しても、剣舞の師範に「破門」を言い渡されても、まったく怒らなかった笑顔のマリア。ゆえにヒステリーを起こすとそのギャップに戸惑いました。しかも、「なんでそんなことで怒るの?」と意味不明なところに母の地雷は落ちていました。

例えば私の歩き方に対するしつけ。ある日、小学校から帰ってくると「もう我慢できひん。あんたは何でそんな頭を上下させて歩くんや」と叱られました。私は驚きました。その前日、10点の漢字テストを渡しても怒らなかった聖母が、今、目の前で声を荒げて怒り狂っている。しかも、私は周りから歩き方が変だと指摘を受けたこともなければ、運動神経が悪い方でもない。戸惑う私の頭の上に、母は分厚い本を2冊ほどのせました。そして、家にいる間は「この本を落とさないように歩け」と命じました。

???一体、何の罰ゲームでしょうか???

さらに翌日、学校から帰ってくると、家の廊下のセンターにヒモが貼り付けてあり「廊下を歩くときは、このヒモの上を歩け」と命じられました。私は左右のバランスが悪く、まっすぐに歩けないからとのこと。

???えっ、それが何か???

私はヒモの上を2、3往復すると、そこから反抗期に入りました。そして一休さんのごとく、廊下のど真ん中をいつもの歩き方で堂々と渡るようになったのです。言うことを聞かない私にキレた母は「銀行では、一度言われたことがすぐにできひんと務まらへん」と嫌みを言いました。この「銀行では、一度言われたことが~」はこの後、母の口癖となりましたが、私も母の言葉を右から左へ受け流す抗体を身に着けたので、何を言われても永遠にできるようになりませんでした。

おかげで私は、歩き方だけでなく人としても母に背を向けたまま成長。ポンコツ娘に育ちました。けれど、こんな私でも今は一児の母です。幼い頃、卓球を習わせてもらえなかった悔しさから、子供を卓球教室に通わせています。

先日、子供がレッスンを受けているとコーチが「頭が上下しないように注意しいや」とアドバイスをくれました。すると子供は「すごい。頭を上下せんかったら、スムーズに横に動ける」と喜びながらフットワーク。私から見ても、動きは明らかに軽やかになっていました。コーチも「一度言うたことが、すぐにできたやん」と子供を褒めてくれました。

その光景を見て、私は、わたしは、たわしは、タワシはゴーシゴーシ(Byのりお師匠)

と、アホになるほど過去の自分がフラッシュバック。「頭が上下する」「左右のバランスが悪い」「一度言ったことをすぐにできない」。意味不明なポイントで激おこぷんぷん丸になる母との攻防の記憶が蘇ったのです。

「卓球ほど厳しいスポーツはないから、女の子はやったらアカン」と言って、卓球の多くを語らなかった母。私が高校生で卓球を始めても、一度も試合を観に来なかった母。けれど、頭の中は卓球のことでいっぱいだったのではないかと。その目線で私に注意していたのではないかと……。

「お母ちゃん、卓球は辛いスポーツと言ってたけど、実は卓球が大好きだったんじゃないの」と今、母に聞きたい。本音を知りたい。しかし時はすでに遅く、痴呆に……。

KIDUITANOGAOSOKATTA

そんな母の誕生日に、新しい日本式ペンをプレゼントしたことがあります。喜ぶんじゃないかと期待を込めて。そんな私の想いも知らず、箱を開けると、喜ぶよりも先にラケットに名前らしきものを書きました。黒のペンで事務的に。ミミズがはったような字で。

シニア世代が若い時分はラケットに名前を書くのが常識だったんでしょうね。母の頭から記憶は抜けても、卓球をやっていた事実は体に残っている。その黒く汚された新品のラケットを見て、心から胸をなでおろすのでした。