卓球は迂回してライフスタイルの話題へ。レディース世代の卓球選手の過去・現在・未来がわかるインタビューコンテンツ「今月の卓球レディース」。3月のゲストは京都カグヤライズのコーチ・張莉梓さんです。愛ちゃんと共に歩んだ卓球人生。遠征生活も14年続けばごく普通の毎日に!
長年の遠征生活で気づいた定住生活の小さな幸せ
人物像は周りの人たちの表現でつくり上げられます。例えば張莉梓さん。福原愛選手の元専属コーチとして知られ、現在は京都カグヤライズのコーチとして選手の指導に当たられています。
旦那様は琉球アスティーダの張一博監督。同氏の日常生活をさらけ出したSNS投稿で莉梓さんの人柄を垣間見ることができました。それがこちら↓
この投稿を見て私が抱いた莉梓さんのイメージはその通り・怖い女性。卓球少女愛ちゃんをオリンピック選手に育て上げた人物なのですから、厳格であって当然です。
「愛ちゃんにも『張さんは、怒ったら怖いよ』と言われたことがあるんだけど、そうかな?」と笑顔で話す莉梓さん。その横で「……だと思う」と渋い顔で頷く京都カグヤライズの池袋監督。私たちはカフェの一角でお茶を飲みながら会話をしていました。
この時のブラックコーヒーはいつもより苦みを感じて、甘いカフェモカを美味しそうに飲む莉梓さんのほがらかな表情に警戒を解くことができませんでした。
話しは自然の流れ、ではなく、私の誘導で張一博監督との夫婦のなれそめへ。愛ちゃんのコーチとして青森山田中学に赴いた頃に青森山田高校に通う一博さんに出会い、友達ではなく顔見知りに。その後、莉梓さんが大会出場で上海に訪れた際に一博さんから連絡があり恋愛に発展。2年半の真剣交際を経て結婚し、4年後には長女が誕生する。
と、ここまで字面だけ追いかけると順風満帆の四字熟語が頭に浮かびます。しかし現実は違いました。
「私たち夫婦はコーチと選手だったので、結婚しても一緒に暮らす時間はほとんどありませんでした。私は同じ場所に住むことのない遠征生活。中国で合宿をしてから海外ツアーへ行き、世界選手権があると、早めに現地入りしてホテルで暮らす。14年の間、その繰り返しでしたから」。
実際、莉梓さんが一博さんと一緒に暮らし始めたのは2016年のリオデジャネイロオリンピック以降。神戸に定住すると、一般人の当たり前が新鮮で感動の連続だったそうです。
私「どんなことに一番感動しましたか?」
莉梓さん「ジムの会員になれたことです」
私「?????」
莉梓さん「生まれて初めて会員になれたんです。それまで何かに参加して通い続けることはできない生活だったので」
私「!!!!!」
これはまさに発言の「アイス・バケツ・チャレンジ」。私は頭の上から氷水をぶっかけられるほどの衝撃を受けました。確かに、短くても1年はそのエリアに住まないと年会費がムダに。地元スーパーのポイント会員に名を連ねる私は選ばれし人間だったということか……。
「それまで化粧水も1本使い切ったことがありませんでした。移動はバゲッジひとつ。荷物を減らしたいので、現地で新しいものを買うようにしていました。シャンプーも小さなボトルしか使ったことがなく、詰め替えができる大きな家庭用シャンプーを買った時は感動しましたね」。
莉梓さんの日常と一般家庭の主婦の日常は真逆。逆方向から見ると日々の些細なことに感動が生まれるなんて。大きな気づきになりました。
家族よりもコーチ業を優先した人生に悔いはなし
2002年から2016年の14年間、愛ちゃんに帯同し世界を転々と移動した莉梓さん。ある時は灼熱のタイからマイナス30℃の中国遼寧省へ。気候の急な変化にもすぐに対応できたそうです。人体の進化がうかがえる卓球コーチの恐るべき生態。お話を聞くなかで“怖いコーチ”に“鋼の女”という印象が上乗せされました。
そんな屈強な莉梓さんにも動揺することがあったと言います。
「愛ちゃんのお母さんとお父さんに頼まれて日本に来ました。日本では天才と呼ばれていると聞きましたが、中国では話題になっていなかったので、ここまで有名人とは知りませんでした。全日本選手権の時に来日して、いきなりベンチ入り。愛のコートだけに大勢の報道陣が集まってくるのを見て驚きました。愛ちゃんの立場がだんだんとわかってきて、とてつもないプレッシャーに襲われました」。
代表権を争う大事な試合が続くと、勝利へのプレッシャーがコーチである莉梓さんにものしかかりました。ほっとできるのはオリンピックが終わった直後。2012年のロンドンオリンピック後は、歩き始めた娘・梓恩ちゃんの子育てに奮闘する日々を満喫しました。しかし母としての喜びを感じられたのも束の間、リオオリンピックに向けて、日本でのコーチ生活が再び始まりました。
「日本に戻ることに迷いはありませんでした。子供の人生は長いけど、女性選手の活躍できる時間は短い。夫も卓球選手なので理解があり、子供を中国の母に預けて日本に戻りました」。
とはいえ、梓恩ちゃんはひとり目の我が子。かわいい盛りに離れることに抵抗はなかったのかと尋ねると……。
「その話をすると、ちょっと……」と莉梓さんは声を詰まらせました。
「寂しかったです。でも愛ちゃんの前でそんなそぶりを見せたら、気をつかわせてしまう。卓球に集中できなくなってしまいます。だから私は寂しさを一切顔に出しませんでした」。
話しながらボロボロと流れ落ち、止むことのない涙。その母のぬくもりが詰まった涙は鋼の女の仮面を溶かし、怖い女性という一面も流し去りました。
「愛ちゃんとは縁がありました。リオデジャネイロオリンピックでメダルが獲れたときは、日本に戻って良かったと心から思えました。選手としてオリンピックに出る夢は叶わなかったけれど、その夢を愛ちゃんに4回も叶えてもらえたんです。私は何度生まれ変わっても同じ選択をすると思います。同じ人生をもう一度歩みたい」。
取材の前の週は、お子さんを神戸から名古屋の試合会場まで車で送迎。幼かった我が子との時間を取り戻すように、今は選手として活躍する娘さんをサポートしています。そして旦那さんとの夫婦の時間も取り戻していると思いきや……。
「旦那に言ってるんですよ。私の時間はあなたよりも愛ちゃんとの方がこれからも長いよって。夫婦二人よりも仲の良い友達と遊ぶ方が楽しいじゃないですか」。
なるほど、旦那様との人生は長いけど、友達とワイワイできる時間は短いですからね。
張一博監督、家の鍵は絶対忘れないようにお願いします。
張莉梓
1983年中国遼寧省生まれ。2002~2016年まで専属コーチとして福原愛選手に帯同する。2022年、京都カグヤライズのヘッドコーチに就任。ゼロからのプロチーム創りに邁進する。夫は琉球アスティーダ監督の張一博氏。