卓球は迂回してライフスタイルの話題へ。レディース世代の卓球選手の過去・現在・未来がわかるインタビューコンテンツ「今月の卓球レディース」。3月のゲストは福岡春菜さんです。春菜さんの魔法の言葉「オンオフ」とは?

事実、王子サーブは虚弱な体から繰り出されていた

ボールの落下に合わせて素早く力強くラケットを振り下ろす。そこから繰り出されるサービスは“王子サーブ”と呼ばれ、世界のコートに七色の光を放った。そのまばゆいばかりのサービスを武器に、ユニバーシアードで優勝を果たすなど輝かしい成績をおさめた元日本代表の福岡春菜さん(42)。

私は春菜さんにインタビューしたかった。どんな人か知りたかった。なぜなら、過去に取材した井上舞子コーチと藤谷千穂コーチが、春菜さんとの熱いエピソードを語ってくれていたからだ。

このエピソードを知りたい人は井上さん藤谷さんの記事を読んでほしい。井上さんを「(球拾いばかりで)悔しくないの????」と叱咤激励し、藤谷さんに「カデットのベスト16で藤谷さんに負けたから私は強くなった」と悔しさを吐露した春菜さん。お二人の話ぶりからすると、春菜さんの印象は卓球にとことんストイックな“鉄の女”。軽くグーパンチしただけで指が全部折れてしまうんじゃないかと思うほど、心身ともにたくましい人物像が私の中で出来上がっていた。

ゆえに私は念願のインタビューが叶うと、春菜さんにこの自分勝手な印象をお伝えした。「しゃがみこみサービスは屈伸運動がきついでしょう。もしや鋼のように強靭なお体なのでは?」と。すると意外な答えが返ってきた。「私は運動神経がなかったので、しゃがみこみサービスが中心でした。あまり動かずにすむから」と。さらに「体力もないんですよ。部活のミーティングや朝礼では、先生の話が長いと貧血で倒れていました」とも。

あれれ、想像していた人と違う。しかも、本人いわく虚弱体質らしい……。えっ、福岡さんは“鉄の女”ではなく、“鉄分が足りていない女”だったの??? 勝手にゴリゴリなイメージをふくらませてごめんなさい。

でも、もっと春菜さんのことを知りたくなりました。その卓球人生を聞かせてもらったので、続きをどうぞ!

島田珠代を姉さんと崇拝する明るいあの娘はどこへやら

小学校時代の春菜さんはクラスにひとりはいる“おもしろ女子”だった。吉本芸人の島田珠代が大好きで、男子の股間をチーンとやっては「怖かった」の決めゼリフでクラスメイトを爆笑の渦に包み込む。天真爛漫で底抜けに明るい性格だったのだ。

地元の徳島から大阪難波に遠征できる大阪国際招待卓球選手権大会が待ち遠しく、試合が終わると近くにあるなんばグランド花月に連れて行ってもらえるのが楽しみだった。その頃から大阪に縁があったのだろうか。春菜さんは小学校を卒業すると、地元を離れて大阪にある四天王寺中学校に入学することになる。

「入学が決まった時はうれしくてたまりませんでした。選手として強くなれるし、休みの日は新喜劇を観に行けると思っていたので」。

そんなキラキラと輝くピュアな気持ちで、大阪に来た春菜さんだったが、ここから彼女の明るさと輝きは消えることになる。「暗黒時代」。学生時代をそう振り返る春菜さんは、光をつかみたくてもつかめない状況が長く続いた。

四天王寺学園は盤石な卓球の名門校。ひとつ上には藤沼亜衣さん、同級生には樋浦令子さんがいた。自分は落ちこぼれ。そんなレッテルを貼り、悔しさともどかしさから自分と同じような影をひきずっていた後輩の井上さんに「(球拾いばかりで)悔しくないの????」と声をかける時もあった。負の目は続き、藤谷さんに全日本カデットで負けてランク入りの逃すと、当時、春菜さんが指導を受けていたコーチが四天王寺学園を去ることになった。

「ひとりの大人の人生を狂わせてしまった気がして自己嫌悪に陥りました」。

たった1試合が明暗をわける。そんな暗くて重い勝負の世界にいる春菜さんに手を差し伸べたのが剛力の人・作馬六郎さんだった。作馬さんは春菜さんに卓球の指導をするだけではなく、通天閣や競艇場といった大阪のキラキラではなくギラギラな場所に春菜さんを連れ出した。

「いつもすごいところに連れて行ってくれるなと思っていたんですけど、今思うと気分転換させてくれていたのかもしれませんね」。

作馬さんは笑顔を忘れた春菜さんの心をコチョコチョして心の底から笑わせたかったのかもしれない。それは親心。いや、なにわのおっちゃんのおせっかいでしょう。

藤井寛子さんにもらった言葉が人生のお守りに

四天王寺中学・高校時代を過ごした春菜さんはその後、日本大学を経て中国電力に入社。日本代表として世界選手権やオリンピックといった世界の頂点の舞台できらめく存在となるが、過酷な選手生活で心と体はへとへとだった。明るかった頃の自分を思い出すこともなく、相変わらず光をつかめない状況は続いていた。

なぜなら当時は、四天王寺学園の先輩である藤井寛子さんを擁する日本生命が日本リーグで無双の時代。中国電力のキャプテンである春菜さんはチームとして日本生命に、個人として藤井寛子さんに勝てずにくすぶっていたからだ。

結果に恵まれず、肩を落として会場を去ったある日、春菜さんは遠征先から広島駅へ戻り、勤務先である中国電力のビルの前を通った。すると、夜遅くにもかかわらずオフィスの窓にポツンと明かりがついていた。

「まだ働いている人がいるんだ……」。

窓からこぼれる小さな光を見つめていると、春菜さんの心の中にポッと明かりが灯った。自分も中国電力の社員のひとり。しかしながら、仕事ではなく卓球を優先させてもらっている特別な立場だ。「試合会場でコンセントにプラグをさせば、電気がつくのは当たり前。だけど、それは仲間が遅くまで働き支えてくれているからだ」。春菜さんは窓の向こうで働く同僚に想いを馳せた。すると心が強くなる気がした。

「中国電力の女子卓球部の一員として、チームを日本一にしたい」。春菜さんは前を向いた。

そして、迎えた2012年の全日本社会人卓球選手権大会(北海道)だったが、やはり藤井寛子さんが優勝した。しかもダブルスとの二冠。春菜さんはダブルスで藤井さんのペアに負けてしまった。

「なぜ藤井さんに勝てないんだろう」。藤井さんに対するうらやましさと悔しさが入り混じるなか、春菜さんはロッカールームへ向かった。そして扉を開けると、目の前に藤井寛子さんが立っていた。あわわわわ。先輩でありライバル。それまで藤井さんに会ってもアドバイスを求めることはなかった。しかし、その時は失意が募っていたのだろう。我を忘れてたずねてしまった。

「藤井さんすごくない? なんでずっと勝てるの?」

すると藤井さんは何かを察したのか、ひと言で返した。

「試合中もオンオフしてるからかなぁ」。

「!!!!!!」

藤井さんのその言葉は、春菜さんにとって目から鱗だった。それまでの卓球人生、試合では全集中が当たり前。頭をフル回転させるため、試合後は身体よりも脳が疲労困憊だった。

「大事な試合の場面でも、藤井さんはリラックスする瞬間を作っていたんだ……」。

春菜さんは、藤井さんの言葉を握りしめた。そして、ロッカールームを出ると、その足で全日本選手権団体の部が開かれる東京へと移動した。

「この大会でのことは忘れられません。試合中はこれまで経験したことがないような不思議な感覚でした。力が抜けていて、最後は何とかなるといった気楽さがあったんです」と春菜さんは当時を振り返る。

気楽に挑めたのが良かったのか。中国電力はトーナメントを順調に上り決勝戦へ。頂上対決の相手チームはもちろん日本生命。第四試合で春菜さんは藤井寛子さんと対戦することになった。

「藤井さんとの試合をビデオで見返したら、ゲーム間にベンチでコーチや仲間とペチャクチャおしゃべりを楽しんでいました」。

「しかもね、まだ試合中なのに笑顔だったんです。わたし」。

春菜さんは、藤井さんとの試合の合間に頭のスイッチをオフにした。すると自動的に心のスイッチがオンになった。電気は流れ、それまで消えていた心の明かりがポッポッポッと次々と灯った。春菜さんは笑顔になった。

そして、気づけば春菜さんは藤井さんに勝利していた。4年ぶりのことだった。

「チームメイトからも『今日の福岡さんは雰囲気が良かった』と言われました。いつもはキャプテンとして自分が勝たなければというプレッシャーがあったので、雰囲気も怖かったんだと思います。任せる気持ちでいたら、後輩たちも勝ってくれました」。

春菜さんの笑顔はチームメイトの心にも明かりを灯したのだろう。中国電力は日本生命に勝利し、全日本選手権団体の部で優勝した。実に初優勝だった。

「藤井さんから教えてもらった『オンオフ』の言葉はいまでもお守りにしています。子供に叱り過ぎた時に『オンオフ』と唱えると、子供の立場も考えよう、もっとゆっくりしゃべろうと、気持ちを切り替えられるんです」と春菜さん。

現在はご主人の仕事の関係でカンボジアに住み、休職中だ。「今は専業主婦なので朝からずっとゴールデンタイムなんです。ひとりカラオケを楽しむこともあって、子供を学校へ迎えに行く頃には声がカスカスで友達に笑われるんですよ」。

仕事と卓球から離れ、今まさに人生のオフを楽しんでいる春菜さん。カンボジアのオリンピック協会の要請で、今後は子供たちに卓球を教える機会もあるかもしれないと言う。そうなればぜひカンボジアで卓球のインフラを整えてほしいな。子供たちに笑顔の明かりが灯るように。

福岡春菜(現:鎌田春菜)

1984年生まれ、徳島県出身。四天王寺中学・高校から日本大学に進学後、2004年ユニバーシアード女子シングルス優勝、2005年アジア卓球選手権混合ダブルス3位、2006年、2008年世界卓球選手権女子団体3位、2008年北京オリンピック団体4位、現在は夫の仕事の関係によりカンボジアで生活を送っている。