卓球は迂回してライフスタイルの話題へ。レディース世代の卓球選手の過去・現在・未来がわかるインタビューコンテンツ「今月の卓球レディース」。11月のゲストは藤井寛子さんです。コーチであり二児のママ。パラレルキャリアを生きる寛子さんの今とは?

禅マインドで時の中に身を置きながら過ごした選手時代

「もう少し大きな声でしゃべっていただけますか?」

私はインタビューの途中でたまりかねてお願いした。会話が飛び交う喫茶店の中で、一語一語が消え入りそうな儚い声。赤子を寝付かせるように優しく語りかけるのは、奈良県出身の元卓球選手・藤井寛子さん(41)、その人でした。全日本選手権女子ダブルスで4連覇の実績を持ち、試合解説にも定評のある彼女の実態がなぜこんなにも淡く切ないのか。

「私は周りを気にしないマイペースな性格なんです。昔からしゃべるのも、食べるのもゆっくりで……」と、声の音量を上げずに続ける寛子さん。ご飯はひと口食べるごとに箸を置き、モグモグと噛みしめる。小学生の頃は母手作りのお好み焼き(豚玉)が大好きで、2枚半+弟が残した分をゆっくりと。キャベツの食感と豚肉の旨味を楽しみながら食に集中したのだそう。

寛子さんの穏やかな語りに耳を傾けていると、なぜか彼女の故郷・奈良の原風景とその観音寺が目に浮かんできました。ゆっくりと自分と対話しながら今を生きる寛子さん。その生き方は禅の精神につながるような気がして、凡夫の私は静かに手を合わせたくなりました。

「選手時代からこのペースなんですが、子供ができるとね……」と照れ笑い。そう、寛子さんは2013年に現役生活を終えたのちに結婚。現在は2人の子供を持つお母さんなのです。そして、卓球場を経営していたご両親の影響でコーチとして活躍する今は、キャラも変わった、いや変わらざるを得なかった? とか。続きをどうぞ。

疾風怒濤の子育てを通して身に着いた目配り&気配り

昨年のある日、寛子さんが卓球場でジュニアの指導をしていると、日本生命時代の先輩・梅村礼さんが訪ねてきました。梅村さんは、寛子さんの仕事の様子を見学に来たのですが、その意外な光景に驚嘆の声をあげました。

梅村さん「藤っぴ、どうしたの???」

寛子さん「???」

梅村さん「そんなにチャキチャキ動ける人だったっけ?」

寛子さん「!!!」

寛子さんは驚きました。梅村さんの言動にではなく、梅村さんの瞳に映った自分の姿に驚いたのです。「あなたはこれやって」「そっちはあれやって」と子供たちひとり一人に的確な指示を飛ばすデキる自分がここにいる。梅村さんのリアクションも当然と頷けるほど、選手時代はテキパキと行動することもなければ、目配りができるタイプでもなかったはずなのに。一体、いつ身に着いたスキルなのか? 寛子さんは引退後の数年を振り返りました。すると子育てが始まってからの戦いの日々がフラッシュバックしたのです。

××朝ご飯を5分でかけこむ××

××上の子に「早く着替えて」と急かしながら、下の子にご飯を食べさせる××

××子供二人を自転車に乗せようとすると、兄弟喧嘩が始まり仲裁する××

××子供を保育園に送るも、体操服を忘れて猛スピードで家に取りに帰る××

寛子さん「!!!(あっ、これか……)」

「選手時代は自分のことだけを考えていましたが、子育てのおかげで少しは周りを見られるようになりました」と寛子さん。子育てを通して観音様から千手観音へ。千の目と手を配ることができるコーチへと進化したのでした。

百花繚乱のレディースワールドに驚きの連続

その後も子育てに追われながらコーチ業を続けること8年。寛子さんはおよそ100人の指導に携わりましたが、まだ勉強の途中と謙遜します。

「コーチは10人生徒がいたら、10通りの指導をする必要があります。ずっと勉強し続けないとダメですね」。選手時代、卓球の技術・戦術・メンタルを極限まで磨いてきた寛子さんに「ずっと勉強~」と言わしめる背景には、オンナの存在がありました。そう、寛子さんはコーチを始めると同時に超個性型集団・卓球レディースの世界に足を踏み入れたのです。

寛子さんが、まず驚いたのはレディースの異質な戦型。

「選手時代はラバーが裏裏の選手がほとんど。こんなに戦型があるのかと驚かされました」。同世代のライバルには粒高使いの福岡春菜選手や、変化表で翻弄する福原愛選手がいたので対異質には免疫があったものの、それは天上界の話。ローカルプレーヤーの異質の多種多様さに「世の中にこんなラバーがあったんだ」という驚きがあったそう。確かに勉強の終わりが見えない世界。

次に驚いたのはレディースの表現の大きさ。

「生徒さんが『試合でめっちゃすごいサーブを出された』と訴えかけてきたので、お話を聞きながらこんなサーブですか? とやって見せたら、『違う』『もっと速い』『もっとサイドに』と言うのです。想像すると世界チャンピオンでも不可能なサーブ。私にはこれ以上できませんと謝りました」。寛子さんは謙虚な態度でその場を乗り切りましたが、そもそも全日本選手権優勝経験者にも出せないサーブを繰り出すローカルのレディースとは何者なのか、私も興味津々です。

さらに驚いたのはレディースの情熱。

「30歳くらいの元卓球部の女性が練習に来ました。初めは月に1~2回、体を動かせたらいいかな~という軽いノリだったのですが、来るたびに練習回数が増え、朝練、仕事の合間の昼練、仕事終わりの夜連と一日3部練するほどハマられました」。その女性は、カットマンから攻撃マンに戦型を換えても、すんなり上達。1年後には初級から中級クラスの大会で活躍するようになったのだとか。「卓球への情熱はオリンピックを目指す全日本選手に匹敵する」と寛子さんも称賛。

続けて「選手時代、卓球は勝たないといけないものでしたが、レディースの皆さんから“卓球が好き”という想いを肌で感じさせてもらいました」とも。

レディースの卓球への情熱は半端ないですからね。寛子さんの指導で、彼女たちのふんわり粒高レシーブを受けても心が折れないジュニア選手が育つことを期待しています。あっ、世界チャンピオンでも不可能なサーブを出せる子も!

藤井寛子

1982年生まれ、奈良県出身。平成18年度、全日本卓球選手権女子ダブルスで金沢咲希選手とのペアで初優勝、平成21~24年度、若宮三紗子選手とのペアで4連覇と、5度の優勝を果たす。現在は日本卓球アスリート委員会副委員長、同ホープスナショナルチームコーチ。著書に「中高生の卓球」(ベースボール・マガジン社)がある。