こちらは『卓球レディース』編集長の西村が、NOルールで綴る馬鹿馬鹿しい卓球日記です。卓球部を卒業しても、また入部がやってくる幸せのループ。

子供が小学校を卒業。それと同時に、私は小学校のPTA卓球部を卒業しました。

あっという間だった6年間。コロナ渦は練習ができなかったからかな。部活生活を一瞬のできごとのように感じています。そして、その刹那に何があったのか??? と驚くほど私の周りでは388級の変化が……。入部当初に出会った先輩方は、当時、着慣れたジャージをまとって、死にラバー添付の貸しラケを振っていたのに、6年たった今ではオリンピックのレプリカウエアをまとって、グラスやP5を操りながら卓球キッズをふりまわしています。いや~感慨深い。

思い返せば6年前、私のマルチタスクに親の介護が含まれていた頃のこと。元卓球選手の母との思い出作りがしたくて、母と一緒にPTA卓球部の体験会に参加。卓球したくてたまらないという煩悩のまま、痴呆症の母を体育館へと引きずって行ったのですが、昔やってたことは体が覚えているのでしょうか? 母はテキパキと球拾いに精を出し、卓球せずに球拾いに終わりました。

「やっぱ、お母さん卓球やらないかー」とガッカリしていると、その日に出会ったキャプテンのOさんに、私の意図そっちのけで卓球部の勧誘を受けました。

Oさん「入部しますよね」

私「母親の介護があるから入部はちょっと……」

Oさん「私の母親も施設入ってるから。やれるよ」

私「……」

その時は正直、「無理や~」と心の中で叫びました。親と子供の世話に、仕事に家事に、マルチタスクに新たなPTAタスクが加わると、私は息の根が止まるのではないかと不安になったのです。でも、あの時、強引に誘ってもらって本当に良かった。私は京都から大阪に嫁いだものの、まわりに知り合いゼロで何年ものあいだ生活していた。卓球部の活動を通じて地域の人とつながりができたし、その後、子供を卓球教室に送迎するようになると、私もラケットを握り、ラリーを通して卓球仲間ができていった。みなさん、気軽に声をかけてくれるから。「ママさんも時間があるんやったら練習しよう」「粒相手にはこう打った方がええで」「今度、この試合に一緒に出ようや」と。その何気ない大阪弁にアウェイの京都人である私の心はどれだけ救われたか。ほんとに。

おおげさじゃないな。ほんとなんだって。それを証明するのは、私のGoogle photoに突如上がってきたある動画。そこには無人の卓球場を借りて、ひとりで黙々とサーブ練習をする8年前の自分が映っていた。サーブのフォームを確認するために撮った動画なんだけど、今みるとなんだかわびしい。卓球部=陰キャを否定できないほど寂しい背中が映ってたもんで。だけど、あの時は卓球に誘える相手がいなかった。家族も卓球していなかった。そして、親の介護話を「聞いて~」といえる相手もいなかった。孤独な卓球ライフだったと。

誰かが「すべては時間が解決する」とテレビで言ってたけど、上り坂も下り坂も時の流れに身をまかせていたらあっという間に過ぎる。そして
、気が付けば中学校のPTA卓球部に入部してるんだから。はやいはやい。今回は小学校の半分の時間だからもっと早く卒業が来るのは間違いない。そして、3年後に気が付けば地域のクラブチームに入部してた。なんてことになるんだろう。その時は終身の所属かな。もう永遠にボッチ練とおさらばよね。

あのとき、強引に卓球部に誘ってくれたOさん、ありがとう! おかげで卓球仲間が広がった。これからもどうかよろしくお願いします(^_-)-☆