卓球を教えてくれたおっちゃん
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こちらは『卓球レディース』編集長の西村が、NOルールで綴る馬鹿馬鹿しい卓球日記です。今回は私が高校時代の話。近所の小学校の体育館で卓球を教えてくれたおっちゃんたちの人生と向き合います。
「どうしたら先輩に迷惑をかけずに卓球を続けられるだろう……」。
高校1年生の初夏、私がぶっ飛ばしたボールを拾いにあっちこっち走り回る先輩の背中を見つめて、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
私が「すみませんっ」と全力で謝ると、「おおっ」と気にしないそぶりをしてくれる先輩や、「かまへん、かまんへん」と笑ってくれる先輩。みんな優しかった。そして、その優しさに応えたかった。けれど私は卓球を始めて間もない高校生卓球デビュー。JTTAよりも若葉マークが似合う超初心者。ラケットにボールが当たるとどこに飛んでいくか本人もわからない。おまけに当時の練習球はふたりで1、2個だけ。ミスをしたら、すぐに取りに行かなければならなかった。
だからこそ、願わくは「フォアラリーを続けられるようになりたい」。それこそが当時の最大目標で、「さまざまな技術を身につけたい」「試合に出たい、勝ちたい」なんて欲望はみじんもなかった。
そんな切なる想いが情報を引き寄せたのだったかな。近所の小学校の体育館で週に1度、体育振興を目的にした卓球練習会が開かれていることを知った。
「フォア打ちを習得するには2部練しかない」と画策していた私にとって、行かない選択肢はない。初めて参加した日から鼻息が荒かったと思う。ところが、行ってみると体育館は閑散としていた。鍵当番をしていた地域のおばちゃんが「人が来なくても開けんと、誰かが来た時に開いてなかったら困るやろ」と言って面倒くさそうに台を出していた。広々とした体育館のど真ん中にたった一台を開き、おばちゃんは全国大会の決勝戦のような舞台を用意した。
「ひと来るのかな……」と不安に思ったが、間もなく一人のおっちゃんが来て、私と鍵当番のおばちゃんを含む3人で練習することになった。いや、おばちゃんは少し打ったあと「腰が痛い」と言って、そこからずっとパイプイスに座っていた。結局、私の練習相手はおっちゃんだけとなった。そして、そのおっちゃんこそが、私がフォアラリーできるようになる立役者。名前は、う~ん知らない。その後、3年間も一緒に練習することになるが、私は名前を1度も聞かなかったし、ほかの人が「●●さん」と呼んでいても耳にフタをして聞かないことにしていた。おっちゃんの事情は一切知りたくなかったからだ。
理由は言葉にしたくない。おっちゃんは、そのおっちゃんは、全身に火傷を負っていた。肌はただれて顔の表情もよくわからない。手はなく、腕にシェークラケットをくくりつけて卓球をしていた。見て見ぬふりをする。違うな。私はおっちゃんの外見や過去ではなく、卓球という接点だけでおっちゃんのありようを見ていた。それだけで良かったのだ。
おちゃんは体が不自由にもかかわらず、自由自在にボールを操っていた。おっちゃんは、私がミスしてあさっての方向にボールを打ち上げても、飛びついて拾い、私が打ちやすいところにボールを返してくれた。初心者と練習してもボールを拾いに行く事態がめったに発生しないほどの上級者だったのだ。
ゆえに、私は安心してラケットを振りきることができた。週に一度、2時間半、ただひたすらおっちゃんを相手にボールを打ち込む。ほかのことは何も考えなかった。ツッツキ、サーブ、スマッシュ、そんな位の高い技に視点が移ったのはもっと先のことだ。
「フォア打ちばかりで飽きない?」とおっちゃんにたずねられても、首を横に振り前傾姿勢でラケットを振る。そんな敬礼動作を何万回も繰り返した2ヵ月後のある日、週に一度とはいえ夜9時半に帰る娘を心配した母がこっそり体育館をのぞきに来た。私の母といえば、これまでもブログに書いてきたが、“卓球禁止”を家訓にした元卓球選手だ(※詳しくは「卓球愛を封印した5歳児」参照)。そんな母が体育館に入るなり、目を輝かせてこう言った。
「あんたのそのフォーム見て、卓球始めて2ヵ月とは誰も思わないで」と。母に卓球をほめられたのは、これが最初で最後なので、とても嬉しかった。
嬉しさで満面の笑顔をふりまくと、私の周りが賑わっていることに気づいた。「あれ、人が多い」。2ヵ月前、初めて練習会に訪れた時は3人しかいなかった寂しい体育館に、10人以上の大人が集っていた。おっちゃんとの練習に集中していた私は、いつの日から人が増えたのか意識していなかった。
体育館の活気にきょとんとしていると、鍵当番のおばちゃんが「友紀ちゃんが来るようになってから、体育館開けるのも遅刻できなくなってしもた」と苦笑い。おっちゃんと私が打つボールの音が、体育館から静寂な田舎街に響き、人を呼び寄せたのだろう。私たちの両側にずらっと台が並んでいた。やがて、ほかの参加者が「●●さん打ちましょう」とおっちゃんを誘った。上手な人は人気者だ。これ以上、おっちゃんをひとり占めするのは申し訳ない。
私はおっちゃんとの練習をほかの方に譲って、体育館の片隅に置かれたベンチに座った。すると、ほかのおっちゃんが「一緒に打とう」と笑顔で声をかけてくれた。そのおっちゃんの名前は……知っている。母の知人の旦那さんであるSさんだ。Sさんは学生時代卓球部だったという。さっそく一緒に練習させてもらうと、おや、フォームがきれいでダイナミック。Sさんも相当上手い。聞くところによるとSさんは京都の名門・H山高校出身だとか。私はその日から主にSさんと練習することになる。練習メニューはもちろん、フォアラリーだけ。それにもかかわらずSさんは文句ひとつ言わずにニコニコしてつきあってくれた。なんとネクタイをつけたままで。お仕事が忙しいのか、Sさんはいつも仕事帰りに体育館へかけつけてくれた。急いだ分の汗を流しながら。そして遅刻の日は「ごめんね。仕事が長引いて~」と謝ってくれる。私が週に一度の練習会を心底楽しみにしていることを知っていて、鼻たれ娘に頭を下げてくれたのだ。
Sさんはおそらく、教えるのもとても上手なはずなのだが、何も教えてくれなかった。ただ「いまのボール良かった~」とほめながら相手をしてくれるだけ。それだけでも私は大満足。Sさんの美しいフォームを見ながらと打つと、自分のフォームも洗練される気がしたからだ。私はSさんが来るのを心待ちにしていた。どんなに時間が遅くなっても、必ず駆けつけてくれることを信じて。ところが、ある日を境にぴたっと来なくなった。「へたくその相手が嫌になったのかな? いやいや、仕事が忙しいからだろう」と考え直し、心配しないことにした。それから2ヵ月後、Sさんは何事もなかったように現れて、「しばらく休んでごめんね~」といつもの笑顔をふりまいて、また私の相手をしてくれるようになった。
私はSさんとまた打てることが嬉しくて、嬉しくて、家に帰るとすぐに母に「しばらく休んでいたSさんが来てくれた」と心を弾ませて話した。すると母は少しためらって「Sさんは元気そうやったか?」と聞いてきた。「いつも通り笑顔やった」とこたえると、母はほっとした様子だった。私が「何かあったの?」とたずねると。母は私に背を向けてこう言った。
「Sさんの奥さんは亡くなったんや」と。
続けて「お酒が大好きな奥さんと、『最後に一緒に飲みたかった』とゆってはったらしいよ」とも。
私はその話を聞いて、心がズキンとした。ズキンとしたが気にとめないことにした。聞き流した。聞いて聞かないふり。いや、私はSさんと卓球という接点だけでかかわっていたから、心に入れなかった。入れたくなかった。そして、今までと同じように練習会に参加して、Sさんとのフォアラリーに興じた。Sさんのご家庭の話には一切触れずに……。
練習会に参加して半年が過ぎた。おっちゃんとSさんのおかげで、私は先輩に迷惑をかけずに練習相手が務まるようになっていた。その頃にはツッツキやサーブもできるようになり、大会にも出場して1回戦で中学スタートの子に勝てるようにもなっていた。それでも私は小学校での練習会ではフォアラリーしかしなかった。おっちゃんやSさんに卓球の教えを乞うことはなかった。ただ、一緒に打ってもらえることが楽しかった。その時間が狂おしいほど最高だったのだ。
そんなにも大好きで大好きで夢中になった卓球だが、私は部活引退と同時に卓球を辞める。小学校の練習会にも参加しなくなる。おっちゃんとSさんにお別れの言葉も伝えずに。「受験があるから卓球できない。そんなことわざわざ言わなくてもわかってもらえるでしょう」くらいにしか考えていなかったのだ。礼節に欠ける。ほんとに、子供だったなぁ。
あれから30年以上の月日が流れ、私は当時のおっちゃんたちと同世代となった。子供が小学校に上がると同時に、PTA卓球部で卓球を再開して7年。今では地域の練習会のために体育館の鍵を開ける当番をしている。そして、定期練習を楽しみにしてくれている人たちを待たせてはいけないと、その日は仕事を早めに切り上げることにしている。
体育館までは自転車で5分ほどの道のり。汗をかきながら急いで向かうと、あの頃、お世話をしてくれたおっちゃんやおばちゃんたちの顔が都会の夜空に浮かぶことがある。その景色は、10代の時に見えなかった、いや、見ようとしなかった他人の人生の景色。その複雑な彩りが心に迫り、大人の私は思わず眼を開くときがある。
そうだ……。
練習相手のおっちゃんは、つらい過去を背負って生きてきた。間違いない。間髪入れずに全力で打ってくる10代との2時間練習。火傷の古傷が痛むことはなかっただろうか?
仕事に家庭に忙しいなか、私との練習時間を作ってくれたSさん、その時間があれば奥さんと最後の乾杯ができたのではないか?
そんなおっちゃんたちの人生に思いを馳せて、あらためて感じ入るのだ。卓球は一人ではできない。一人では上達できないと。私たちは今日もいろんな人たちと卓球に興じる。1本に泣き笑い。相手の健闘に戯言をほざく。その人たちがどんな人生を背負って生きているのかなんて知らないし。知る必要もない。ただ、卓球という接点だけでお互いの魂と触れ合っている。
それがどれだけ尊いことか、卓球は卓人にとって人生のサードプレイス。おっちゃんとSさんも、私とのラリー中に辛い現実を忘れる一本があったのではないだろうか。
今日も体育館には参加者の笑い声とラリーの音が響き渡る。その和やかな音に耳を傾けながら安堵するのは、私だけだろうか?

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