こちらは『卓球レディース』編集長の西村が、NOルールで綴る馬鹿馬鹿しい卓球日記です。低身長だけど声だけはデカイ。そんな私は体育会の応援団の星(団員1名)。レギュラーとして活躍できる日は来るのでしょうか?

私は声がでかい。両親が詩吟の師範ということもあり、大きな声の遺伝子を受け継ぎ、屈強な声帯に鍛え上げられてしまった。ゆえに体育会では主に応援要員として重宝される存在に。

小学校時代、スポ教でのバレーの試合では声高々にサーブの掛け声「そーれ!」

中学時代、バスケット部の試合ではオフェンスの歌「いけいけ○○子~♪」

高校時代、卓球部の試合では得点のたびに「ナイスボール、ナイスコース、ナイスサーブ!」

敗戦後のミーティングで、キャプテンが「試合には負けたけど、西村がしっかり声出してくれたから、応援ではうちら負けてなかったよ!」と涙ながらに褒めてくれても。みんなが「西村、応援ありがとう」と心から拍手してくれても。

ごめんなさい。。。なんにも嬉しくありませんでした。

私は応援団ではなくて、プレーヤーとしてのスタメンでありたかった(涙)

友達に誘われて小学校5年生でバレーボールを始めた時は、今で言う低身長(当時128cm)のため、自分の膝に合うサポーターがなかった。兄が町で1軒しかないスポーツショップで買ってきてくれたサポーターは膝と太ももの面積まで奪ってしまうビックサイズ。

「これしかなかったんや。文句言わんとはけ!」と怒られて履いたら、兄が大爆笑。綿がたっぷり詰め込まれたサポーターのせいで私の膝はまん丸に覆われ、膝とふくらはぎのサイズ感は、まち針の玉と針のよう。

「写真撮らせて、友達に見せたい」と兄は涙を流して笑っておりました。学校へ行っても「サポーターが歩いているみたい」と先輩方が大爆笑。そんな足では、というかそんな身長ではバレーボールなんかまともにできないから声を出すだけの存在に。

続く中学校では、「身長を伸ばしたい」との思いからバスケットクラブに入部。小学校の6年間、背の順トップの座を明け渡せなかった私は「中学校入ったら身長伸びるから心配せんでええ」とお母ちゃんになぐさめられてきたけど、その言葉を純粋に信じてきたけど、仏壇でご先祖様に毎日「背が伸びますように」と手を合わせてきたけど、思春期を迎えても一向に伸びる気配がない。

130センチ台後半をうろちょろしながら、毎日ジャンプするおかげで足裏の面積だけはピザ生地のように拡張。バッシュのサイズは24.5センチで、デリカシーのない男子からは「バッシュが歩いているみたい」と揶揄されておりました。そして中学生のスポーツは技術力よりも体格差で優劣がつきやすい。ゆえにここでも声出し要員に。

だから、だから、高校で卓球部に入ると、私はやっと自分の居場所を見つけた気がしたのです。キャプテンのNちゃんは140センチ台半ば。当時、150センチに手が届き始めた私よりも若干低い。目線をほんの少し下げて話せる相手と初めて出会い、私は妹ができたような気分になりました。絶対手放したくない優越感。

卓球レポートをみると、世界で活躍する女子選手の中にも背の低い方がちらほら。当時は長身のスウェーデン軍団が幅をきかせておりましたが、リーチのある外国人選手を相手にテクニックと脚力で勝利をもぎとる小さな選手を見ると胸が躍りました。背の低い私に希望を与えてくれた。卓球こそ私の活躍できる舞台と確信しましたよ。ええ。

だけど……あれ? 

高校スタートの私は実力が伴わないからまだ卓球の試合は早いと???

ここでも声だけ出せとおっしゃるのですか???

現実は厳しいですね。